二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2015.03.19
第3回 無欲で掴んだ2つのメダル
~若きリーダーが見据えるパラスポーツの未来~(3/4)
二宮: 北京パラリンピックでは5種目に出場し、3種目での入賞を果たしましたが、いずれも表彰台には届かなかった。それから4年後のロンドンパラリンピックでは、2つのメダルを手にしました。やはり4年前の経験が役に立ちましたか?
木村: もちろん、それもあると思うんですが、北京後に日本大学へ進学したことによって、応援してもらえる方がたくさん増えたことが大きいかなと。
二宮: 周囲の声援が力になったわけですね。体もひとまわり大きくなった印象を受けました。
木村: そうですね。トレーニングに充てられる時間も増え、量と質ともに上がりましたので、フィジカルはついたと思います。
二宮: ロンドンパラリンピックでは100メートル平泳ぎで銀メダル、100メートルバタフライで銅メダル。残念ながら金メダルは次に持ち越しとなりましたが、パラリンピックで初めて獲ったメダルの感動はひとしおだったのでは?
木村: いや、何よりびっくりしましたね。僕はロンドンパラリンピックで5種目にエントリーしていたんですが、世界ランキングが一番高かったのは平泳ぎじゃなかったんです。50メートルの自由形が3位で、メダルを獲った平泳ぎとかバラフライは5、6位だったんです。
二宮: むしろ自由形の方にメダルの照準を置いていたと?
木村: はい。ですが、50メートルの自由形では、結局5位でした。それで"他の種目では獲れないかな"と思って、一度は諦めていたんです(笑)。その後は大会に合わせて整えていた生活リズムも崩してしまいました。
伊藤: 2種目でのメダル獲得は、実はうれしい誤算だったんですね。
木村: そうなんです。ある意味ではリラックスした状態で平泳ぎは臨めました。その中で泳いだ記録がすごく良かったので、びっくりしましたね。
【"準備力"が導いたロンドンの表彰台】
伊藤: ロンドンパラリンピックでは直前の準備が生きたとお聞きしました。
木村: そうですね。ロンドンパラリンピックが始まる2週間前から、時差調整を兼ねて現地近くのバジルトンに行きました。そこで本番と同じ形状のプールで合宿をさせてもらいましたので、その調整が良かったのかなと思います。
二宮: 女子100メートル背泳ぎで金メダルを獲得した秋山里奈選手がおっしゃっていましたが、パラリンピック水泳の代表選手たちは大会前の国内合宿で国立科学スポーツセンター(JISS)のプールを使用したと。そこでロンドンの本番と同じメーカーのタッチ板で練習したそうですね。
木村: 秋山さんの場合は背泳ぎで、飛び込まないでスタートをするので、タッチ板の滑り具合が影響あったと思います。僕の場合は飛び込むので、スタート台が気になるんです。
伊藤: メーカーによっての差異は、具体的にはどの点にあるのでしょうか?
木村: 水泳のスタート台に陸上のスタートブロックのようなものがつけられているんです。そのブロックはもちろん、スタート台の角度や大きさもメーカーによって異なる。そこが少しでも違えば、僕らは飛び込む時の角度、足を置く位置や力の入れ方も変えなければならないんです。スタート台やブロックが同じだったので、本番と同じスタート練習ができたことは大きかったですね。
二宮: "準備力"が生んだメダルだったわけですね。
木村: ええ。僕がスタート台以上に日本での合宿が大きかったと感じた点は、50メートルプールでコースを貸し切りで練習できたことですね。普段ですと、自分たちのやりたいトレーニングができるという場所はそれほどないんです。
二宮: 普段、長水路(50メートル)のプールで練習することは?
木村: 少ないですね。僕は今、大学のプールを借りて練習させてもらっています。そこは25メートルなんです。加えてJISSは、そこで宿泊や食事面もサポートしてもらえた。こうした万全の体制を敷いていただいたこともパフォーマンスに影響したのではないかと思いますね。
(第4回につづく)
<木村敬一(きむら・けいいち)>
1990年9月11日、滋賀県生まれ。増殖性硝子体網膜症で2歳の時に全盲となる。小学4年から水泳を始め、単身上京した筑波大学付属盲学校(現・筑波大学附属視覚特別支援学校)で水泳部に所属。中学3年時に出場した世界ユース選手権大会で金、銀、銅と3個のメダルを獲得し、2007年の日本身体障害者水泳選手権では100メートル平泳ぎで日本記録をマークして優勝。高校3年時に臨んだ08年北京パラリンピックでは5種目に出場し、うち3種目で入賞した。日本大学に進学後、4年時に迎えた12年のロンドンパラリンピックでは100メートル平泳ぎで銀メダル、100メートルバタフライで銅メダルを獲得した。昨年から水泳チームのキャプテンを務め、アジアパラ競技大会(韓国・仁川)では出場した全6種目で表彰台に上がった。
(構成・杉浦泰介)