二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2015.09.17
第3回 ヘッドコーチは"引き出し"で勝負
~男子車椅子バスケ、指揮官が描くストーリー~(3/4)
二宮:及川さんが車椅子バスケットボールを始めた時に比べると、現在の競技レベルはどうなのでしょうか?
及川:選手たちにはいつも言っているんですが、「君たちに求めていることで、僕ができることは一切ない」と。選手の頃そんなこと考えていませんでしたし、それをわかった上で、「"自分はできないくせに"というふうには思わないでくれ」と言っています。それくらい高いレベルのことを彼らはやっているんです。
伊藤:今の言葉にチームの中での強い信頼関係を感じますね。選手たち、他のコーチングスタッフに対するリスペクトが無いと成り立たない気がします。
及川:そうですね。信頼関係をどう作っていくかが、まず最初の基盤でした。それが少しずつうまくいっている気はしています。
【米国で気付かされた"正しく学ぶ"こと】
二宮:22歳の時に米国へ留学し、車椅子バスケを学ばれました。
及川:ええ。その頃は、"バスケの神様"マイケル・ジョーダンが野球に転向した時期でした。そして野茂英雄さんがドジャースに移籍した時期でもあります。やはり米国は、野球にしてもバスケにしてもインテリジェンスがすごいんですよね。テレビなどの解説を聞いていても、"バスケって、こうやって考えて、やっているのか"と感心しました。「正しく学んで、確実に実行していけばうまくなっていくんだ」ということが僕の原動力になっていった。日本の時は、とにかく一生懸命やり、頑張ったあかつきにうまくなる。そこから楽しくなるという感じだったので、"とにかく頑張れ""とにかく走れ"と。
伊藤:日米の指導法の違いを知ったということでしょうか。
及川:日本では、とにかく厳しいことをしなさいと。そういうふうに習ってきた環境から、米国ではいろいろなことを学んでいった。どんどん自分がうまくなっていく感覚を得られたことが一番影響を受けたことですかね。
二宮:私も現地で何度かNBAを観ました。どのアリーナも、みんなが楽しんでいるといいますかね。ああいう環境はいいなと思いました。
及川:NBA中継やバスケ番組をテレビで見てから夕方に公園へ行く。バスケットゴールがあるところで、シューティングをしていると、子どもたちが近付いてきて、「一緒にバスケしよう」という雰囲気になるんです。僕は車椅子に乗っているんですが、そういうことが日常茶飯事でできていましたね。そういう環境は日本には、なかなかない。スポーツを楽しむ土壌が自然とあったんです。それは本当に夢のような環境で、より車椅子バスケという競技にハマっていきました。
伊藤:そういったものを日本に持ち帰って来て、「みんなに伝えたい」と始められたのが若手育成に注力したJキャンプということでしょうか。
及川:そうですね。やっていることは、特別なことではないんです。ノウハウをちゃんと学んで、提供できれば、このシステムは日本人のマインドとも合わないことはないと思いました。まずはきちんと学び、楽しさを感じながら、バスケを上達させていこうというコンセプトでやっていますね。
【影響を受けた恩師の指導哲学】
伊藤:自分が米国に渡って身につけたものを、"自分が強くなろう""自分のチームが強くなろう"だけではなく、とにかく日本全体の車椅子バスケットボールプレーヤーに、伝えていこうと尽力されている。これは簡単な話じゃないと、本当に思います。
及川:僕には恩師がいるんです。シドニー、アテネパラリンピックでカナダ代表を金メダルに導いたマイク・フログリーコーチです。彼は、選手たちに自分が持っているものを全て与えていく。僕はどちらかというと「これは良い情報だな」と思ったら"自分だけのものにして、強くなってしまおう"みたいな小癪な性格だったんです(笑)。でもフログリーコーチは惜しげもなく周りに伝えるんです。ある時、「なんでそういうことをやるんですか?」と話をしたら、彼は「僕は必ず成長するから、今持っているものは全部出す。でも明日は違う(成長している)」と答えたんです。それがフログリーのプロフェッショナリティーでしたね。
二宮:そこで"これを教えたら相手が強くなる"と出し惜しみしているようじゃダメなんですね。相手を強くして、自らはそれを糧にして成長するというような考えじゃないといけないと?
及川:はい。あとは"自分の持っているものを与えるけど、これをちゃんと使いこなせるかどうかは君次第だよ"というようなプレッシャーとしても感じられ、それがチャレンジでもありました。そのコーチに出会えたことで、Jキャンプでは、学んだ技術・ノウハウを他にもどんどん伝えることによって、自らが変わっていくきっかけを作ろうと考えるようになりました。この哲学は、自分にとってすごく良かったかなと思います。
二宮:コーチは引き出しがいくつもないといけないんでしょうね。"これしかない"では、やがて行き詰まる......。
及川:今の日本代表選手も入れ替わり沢山の選手が来ますが、非常に多くの情報を提供しています。もう1000ページ以上の資料は配布していると思います。パラリンピックの予選が終わったら、もっともっと広めて行きたいなと思っていますね。
(第4回につづく)
<及川晋平(おいかわ・しんぺい)>
1971年4月20日、千葉県生まれ。高校1年の冬、骨肉腫で右足を切断。1993年に千葉ホークスに入り、車椅子バスケットボールを始める。翌年、米国に留学。シアトルスーパーソニックス、フレズノレッドローラーズでプレーする。2000年にはシドニーパラリンピックに出場した。02年、車椅子バスケットボールチーム「NO EXCUSE」を立ち上げ、現在はヘッドコーチとして活躍。12年ロンドンパラリンピックは男子車椅子バスケットボール日本代表アシスタントコーチとして経験した。13年から日本代表ヘッドコーチに就任。14年インチョンアジアパラ競技大会ではチームを銀メダル獲得に導いた。PwCあらた監査法人に勤務。
(構成・杉浦泰介)