二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2015.11.19
第3回 オールジャパンで成功を!
~未来の共生社会につなげる東京パラリンピック~(3/4)
二宮:2020年のオリンピック・パラリンピックは、主催都市は東京ですが、大臣も「日本全体でオリンピックをやるんだ」とおっしゃっていました。当然、各自治体はキャンプ地を誘致しようと動きも出てきますよね。パラリンピックのことを考えれば、地方もバリアフリーやユニバーサルデザインに対して、かなり力を入れていかないといけませんよね。
遠藤:そうですね。大会ボランティアの数は8万人、10万人としています。大会に直接関わる人はそうかもしれませんが、海外からの観光客は、今年はこのままいくと2000万人近い人が訪れるそうです。そうすると2020年には3000万人になるかもしれない。その観光客を受け入れるには、東京だけでは賄えない。地方と連携していくことも必要になってくると思うんですよ。大会ボランティアという枠を超えて、多くの人に関わっていただきたいですし、そこに心のバリアフリーやユニバーサルデザインの考えを持ってほしい。これを全国に浸透させていくことで、日本の今後に繋がっていくのではないでしょうか。まさに日本という国、国家として最高のレガシーは、私はこれかなと思っているわけです。
二宮:ソフト面はおっしゃる通りですが、ハード面ですよね。このあたりは各省との連携が必要になってきますよね。オリンピック・パラリンピック大臣として、各省庁に対して、働き掛けているわけですね。
遠藤:私のところが直接事業をするわけではありませんが、いろいろなセクションには働きかけていきたいですね。私はオリンピック・パラリンピックが成功だったと胸を張るためには、まずは安心安全な運営かなと思うんです。これはセキュリティ、施設整備ですね。2つ目はメダルが欲しい。3つ目が未来へと繋がる財産を残すこと。つまりレガシーだと思います。レガシーのためにも、安心安全な運営が重要になってくる。その時に言われるのがバリアフリー。先日も新宿駅を見てきたのですが、たしか5つの鉄道会社で12の路線があります。造った時期も違いますし、建物がバラバラでとてもわかりにくい。
伊藤:指示看板がわかりにくいとおっしゃる方もいらっしゃいますよね。
遠藤:はい。日本人ですらわからないくらいだから、海外から来た人たちはもっとわかりませんよ。また車椅子に乗っていれば目線の高さも違います。だから、そこでモデルを作ろうと。駅のバリアフリーを新宿でやったら、次は渋谷をやりましょうと。それを日本全国に広めていきたいですね。言語は多言語機能のものを整備したい。そういうことは国土交通省なり、厚生労働省なり、一丸となってやりたいと思っています。
【広域開催で地方活性化を】
二宮:オリンピックの話でお聞きしたい点があるんですが、現在、政権が地方創生に力を入れてやっていますよね。2020年東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会では追加を提案する5競技が決まりましたよね。IOCに提案しているだけですが、おそらく大丈夫だろうと言われています。私が面白いなと思ったのはサーフィンなんですよね。サーフィンは福島県や東京近郊だったら千葉県の房総も盛んです。宮崎県、徳島県、高知県と地方の過疎化しているようなところでも盛んですよね。経済活性にも結び付くのではないでしょうか。
遠藤:あれは日本としてもやりたいというのがありましたが、IOCから若い人が好み、参加できる種目という要望もあった。それで選ばれた1つなんです。サーフィン以外でも、野球にしても「復興オリンピック」と言われているくらいですから、地方予選が可能なら福島県でやってほしいと思います。
二宮:大臣は以前もアクションを起こしていましたね。
遠藤:福島だけに限らず、全国にですね。極端なことを言えば、野球やソフトボールの予選リーグで総当たり戦をやるならば、たくさんの県で開催できないかなと思っています。そうすると日本中で一気に盛り上がりますよね。
二宮:そうですね。IOCの縛りもあるかもしれませんが、オリンピックのサッカーでも、アトランタオリンピックでサッカー日本代表がブラジル代表から金星を挙げた"マイアミの奇跡"がいい例です。要するにアトランタではなくフロリダでやっているわけですから。
遠藤:今のところサッカーだけは、地方開催をしていいと言われています。だから組織委の森喜朗会長に「他の競技に関しても被災地を含む地方開催を認めてほしいとIOCに伝えてください」とお願いをしてきたんです。まずは選手が第一ですから、移動も考えると全国規模になるのは嫌だと言う人もいるでしょうからね。それに国際競技連盟の意見も聞かないといけません。日程、予算の問題も当然ありますが、可能な限りは地方でやりたいですね。今度、IOCのトーマス・バッハ会長にお会い出来たら、お願いをしようと思っています。
伊藤:大会前や大会中だけでなく、オリンピアン・パラリンピアンが試合後も地方に行って、応援してくれた地域の人たちと交流をする機会があればいいですね。そうやって、ずっと繋がっていくような関係が築けたらいいなと思うんです。
遠藤:そうですね。たしかに一旦のピークは2020年です。しかし、その後も、いろいろな形で繋げていきたい。レガシーも含めて、どう繋げていくかが大事ですからね。切れることのないように、できるだけ継続していきたいですね。
(第4回につづく)
<遠藤利明(えんどう・としあき)>
1950年1月17日、山形県生まれ。中央大学法学部に入学後、ラグビーを始める。ポジションはスクラムの最前線を担うプロップを務めた。大学卒業後、山形県議会議員を経て、93年に衆議院議員に当選。以降、文部科学副大臣、農林水産委員会委員長、自民党幹事長代理を経験し、現在、東京オリンピック・パラリンピック大臣としてスポーツ環境整備などに尽力している。
(構成・杉浦泰介)