二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.01.14
第2回 限界を超えたい
~冬から夏へ、夢のペダルを漕ぐ~(2/4)
二宮:自転車競技に転向する前、クロスカントリースキーで2010年のバンクーバーパラリンピックに出場しました。初のパラリンピックの思い出は?
鹿沼:出場できたことにはすごく感謝しているんです。でも私は2008年からパラリンピックを本気で目指し始めて、2年しか本格的な練習を積めていませんでした。スタートラインに立った時に自信がなくて、"自分がここに立っていいのだろうか"という疑問がよぎったんです。
二宮:なるほど。不安を抱えてのスタートだったんですね。それでもバンクーバーではバイアスロン・パシュート7位 、5kmクラシカル8位、クラシカル・スプリント7位、クロスカントリースキー女子リレー5位。計4種目で入賞を果たしました。
鹿沼:終わってからすぐに"次こそは4年間、ちゃんと練習してパラリンピックのスタートラインに立ちたい"と思いましたね。
伊藤:バンクーバーでは、同じ日本代表の新田佳浩選手が10kmクラシカルと1kmスプリントで金メダルを獲得しました。鹿沼選手も会場で見ていたそうですね。
鹿沼:はい。私は新田選手が表彰台に上がるのを見て、日の丸が掲げられ、「君が代」を聞いた時に"いつかは自分も"と思いました。そんな気持ちになれたのは、本当に新田選手のおかげです。
二宮:それでは、ソチパラリンピックを目指していたさなかにケガをして、スキーが出来なくなったというのはやはりショックだったでしょう。
鹿沼:そうですね。何も考えられなくなって、スポーツから逃げたいという気持ちの方が大きかったですね。
伊藤:それだけスキーに懸けていたので、大きな目標がなくなってしまったわけですね。
鹿沼:5位、4位と、クロスカントリースキーでも上位に入れるようになってきた時だったので、余計につらかったですね。
二宮:まさにこれからという時ですもんね。なかなか次の目標を見つけるのも大変だったのでは?
鹿沼:そうですね。ただ体を動かすこと自体が好きだったので、自然と動かしていました。
二宮:冬と夏のパラリンピックを両方経験できることは、ある意味においてはチャンスという言い方もできるかもしれません。
鹿沼:はい。あまり経験できないことなので、このチャンスを活かせればと思います。
【奇跡で終わらせたくない】
伊藤:自転車競技に転向して3年あまりで、国際大会で目覚ましい活躍をされています。やはり2014年の世界選手権優勝は大きな自信になったんじゃないですか?
鹿沼:そうですね。そこで表彰台に立って「君が代」を聞けたことで、"今度はパラリンピックの場でも表彰台に立って、自分の手で「君が代」を流したい。この優勝を奇跡で終わらせたくない"という気持ちがすごく湧きましたね。
二宮:リオデジャネイロパラリンピックに向けて、強化したい点は?
鹿沼:脚力です。自分で限界を作るのではなくて、動かなくなるまでやってみたいと思います。
二宮:動かなくなるまで?
鹿沼:動くうちはまだ、限界ではないと、最近思えるようになってきました(笑)。
二宮:相当、自分を追い込んでいるんですね。
伊藤:室内練習用のワットバイクが大好きだそうですね。景色が変わらず飽きやすいので、ビデオなどを見ながら何とかモチベーションを保っている選手が多いと聞きます。
鹿沼:ワットバイクは漕いでいる瞬間、瞬間の自分のペダリングや、出しているワット数を見られるので、それを確認しながら練習するのが楽しいです。
二宮:なるほど。自転車競技は落車が付き物ですよね。これまで経験されたことはありますか?
鹿沼:実は5月に。サイクルスポーツセンターで練習中に下り坂から左カーブに入るところで転倒してしまったんです。
二宮:競輪でよく見かけますが落車した場合、打撲では済まないですからね。
鹿沼:鎖骨を骨折しました。落車すると鎖骨、肩甲骨のケガが多いようです。逆に「お前、まだ折ってないのか?」と言われるくらい(笑)。
二宮:折ってやっと一人前みたいな風潮はありますよね。とはいえ、リオデジャネイロパラリンピックまで時間もだんだん近づいてきていますから。ケガには十分注意しないといけません。
鹿沼:はい。これからは気を付けていかないと。でも、5月に悪いことは全て終わったと思っています(笑)。
伊藤:2015年の世界選手権では勝てなかった理由には、そのケガの影響もあったのでしょうか。
鹿沼:そうですね。大会が落車から2カ月後で、出場しただけになってしまいました。逆にその悔しさが糧となって、その後の練習のモチベーションにつながっていると思います。
(第3回につづく)
<鹿沼由理恵(かぬま・ゆりえ)>
1981年5月20日、東京都生まれ。生まれつき弱視の障がいがある。2008年、本格的にクロスカントリースキーを始め、10年にバンクーバーパラリンピック出場。クロスカントリー女子リレー5位、バイアスロン7位、クラシカル5キロ8位など計4種目で入賞を果たした。練習中のケガで、スキー競技を断念し、自転車(パラサイクリング)に転向。14年のロード世界選手権タイムトライアルで優勝。15年のトラック世界選手権では3キロ個人追い抜きで銀メダル、タンデムスプリントで銅メダルを獲得した。楽天ソシオビジネス所属。
(構成・杉浦泰介)
※鹿沼選手の練習風景を取材した「Rio,Rio,Rio」も合わせて御覧ください。