二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.02.04
第1回 東京への新たなスタート
~障がいを超えた絆で夢を追う~(1/4)
2015年9月、日本ブラインドサッカー界の悲願は叶わなかった。わずか2つのリオデジャネイロパラリンピックの出場権を争う「IBSA ブラインドサッカーアジア選手権 2015」(アジア選手権)。日本はグループリーグ3位に終わり、パラリンピック初出場を逃した。同年11月、日本は2020年東京パラリンピックに向けて、高田敏志新監督の下、新たなスタートを切った。4年後の大舞台を控え、どのようなサッカーを目指すのか。11年からアジア選手権まで日本代表のキャプテンを務めた落合啓士選手にインタビューした。
伊藤:今回のゲストはブラインドサッカー日本代表、"おっちー"こと落合啓士選手です。宜しくお願いします。
落合:宜しくお願いします。
二宮:ご無沙汰しております。前回お会いした時は、リオパラリンピックに出場して活躍したいとおっしゃっていました。今年はオリンピック・パラリンピックイヤーですが、残念ながら、リオへの夢は途絶えてしまった。
落合:そうですね。悔しさは日々、噛みしめていますね。ただ、それを後ろ向きに捉えるのではなく、前を向いて、悔しさをバネに過ごしています。
二宮:リオパラリンピックアジア予選となった昨年9月のアジア選手権。アジアから2カ国がリオへ進めるという中で日本は中国に敗れ、イランと引き分けました。中国に0-1、イランに対しては0-0のスコアレスドロー。以前も日本の課題は攻撃力だとおっしゃっていましたね。
落合:以前に比べたら、攻撃力は格段に上がっているんです。ただ、厳しい戦いになった場合には、まだ足りない。課題がたくさんあったなということを、今改めて感じていますね。
二宮:以前はフィールドプレーヤー4人中3人が守って1人が攻める形が基本戦術でした。それに対して、もう少し攻め手を増やすことが課題だとおっしゃっていました。
落合:そうですね。2014年の世界選手権までは3人で守って、カウンター狙いで1人が攻める形をとっていたんです。昨年のアジア選手権の時は2人ないし、時間帯によっては3人で攻めることも試みました。でもフィニッシュの精度など足りない部分が多くて、なかなか点がとることができなかったですね。
二宮:なるほど。守備に関してはグループリーグの5試合を戦って失点はわずか「1」ですから、悪くはなかった。やはり出場権獲得のライバルと目されていたイラン、中国に対して1点もとれなかったことが、リオに行けなかった最大の原因だと?
落合:まさしくその通りですね。
二宮:今後の改善点といいましょうか、得点力を上げるために、日本代表はどういうサッカーを目指しているのでしょうか。
落合:まずは日本代表の監督が代わりました。高田新監督になって、今まではカウンターサッカーがベースだったのですが、ポゼッションサッカーにスタイルを変えようとしています。
伊藤:より攻撃的になるということでしょうか?
落合:はい。まず「ボールを奪われないこと」「ボールを持っている時間を長くすること」によって、相手から攻められない。同時にパスを多用してボールを動かすというサッカーにシフトしています。今までのスタイルよりも、攻撃的になってくるかなと思いますね。
【雨のグループリーグ最終戦】
二宮:落合さんはアジア選手権をキャプテンとして戦いました。今回リオパラリンピック出場を逃した後、他の選手とどんなお話をされたんでしょうか。
落合:選手の前にまず監督と話をしました。自分はキャプテンとして4年間やってきましたが、監督の期待に応えられなかった。監督には「本当に申し訳ありません」と話しました。日本の力を100%出して負けたとは言い切れない部分がある。そこが申し訳なかったなと思いますね。選手同士では、リオに行けなかったので、やはり次に目指すものは東京じゃないですか。「この悔しさを東京につなげよう」ということを、試合が終わってから話しました。
伊藤:落合さんご自身は、4年後の東京パラリンピックをプレーヤーとして目指されますか?
落合:はい。私は北京パラリンピックのアジア予選から3大会続けて挑戦させてもらって、1度も本大会に出られていない。ブラインドサッカーを応援してくれる方たちに、恩返しがまだできていないと思っています。2020年は開催国として出場が決まっている中で、日本代表としてより高みを目指していきたい。「3大会分」ではないですが、今まで応援してくれた人たちへの恩返しができる場だと思いますので、選手としての出場を狙っていきたいと思っています。
伊藤:その"恩返ししたい"という思いは、リオ行きを逃したあとのグループリーグ最終戦・マレーシア戦でも、伝わってきたように感じました。
落合:本当ですか? ありがとうございます。あの試合は大雨の中でたくさんの方が帰らずに応援してくださいました。実際、キックオフ前にリオへの道は絶たれてしまっていました。そんな状況にも関わらず、雨の中でもスタンドに残って応援していただいたことは、嬉しかったです。その気持ちに応えなければいけないし、あの試合がスタートだと思って、選手たちも必死にプレーしました。
二宮:なるほど。これは新しい旅立ち、東京に向けてのリスタートだったということなんでしょうね。
落合:そうですね。正直気持ちを完全に切り替えられたわけじゃないですが、2-0で勝利し、良いスタートを切れたのではないかと思いますね。
(第2回につづく)
<落合啓士(おちあい・ひろし)>
1977年8月2日、神奈川県出身。10歳の時に、徐々に視力が落ちる進行性の難病である網膜色素変性症を発症する。25歳でブラインドサッカーを始めると、翌年に日本代表に選出され、2006年から3大会連続で世界選手権に出場。11年から日本代表の主将を務めた。10年に神奈川県唯一のブラインドサッカーチーム「buen cambio yokohama」設立。チームの代表を務める傍ら、自身も同チームに所属するプレーヤーとして活躍する。ポジションはFW。身長171センチ、体重71キロ。
(構成・杉浦泰介)