二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.03.10
第1回 未来につなげる前例となる
~スポーツ庁初代長官が目指す共生社会~(1/4)
文部科学省の外局として、昨年10月にスポーツ庁が設置された。初代長官にはソウルオリンピック競泳男子100メートル背泳ぎ金メダリストの鈴木大地氏が就任した。鈴木氏は日本水泳連盟会長、2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会の委員長を務めるなど、各所でリーダーシップを発揮してきた。スポーツ庁はトップ選手の強化に限らず、国民の健康増進や地域振興などにも取り組んでいる。新官庁の先頭に立って牽引する鈴木長官にスポーツの未来について訊いた。
伊藤:今回のゲストは昨年新設されたスポーツ庁の鈴木大地長官です。宜しくお願いいたします。何度も質問されていると思いますが、初代長官としての抱負をお聞かせください。
鈴木:新しくできた庁ですから、前例がありません。つまり我々のやることが前例になっていきます。後になって歴史を振り返ったときに"スポーツ庁ができていい方向にいったな"と言われるように、明確な方向性と歩みを示したいですね。今後にきちんとつながるものを築いていきたいと思っています。
二宮:就任されて半年が経ちました。長官としてのお仕事のペースには慣れてきましたか?
鈴木:出張で国内外を飛び回ったり、庁内にいる時は我々の政策を推進するために色々な会議や打ち合わせを行っています。本当に日々慌ただしく過ごしています。
二宮:もう寝る暇もないような忙しさだと。
鈴木:いやいや、寝る時間はありますよ(笑)。ただ、こういう職に就いてから夜中にパッと目が覚めたりすることもあります。やはり気を張っている部分もあるのかなと思います。
伊藤:目が覚めて、明日言わなければいけないことを考えこんだりするのですか?
鈴木:そういうこともありますし、逆に"あ、こんなこと言っちゃったな"と振り返ることもあります。ただ、年を取って睡眠が浅くなったという人もいますけどね(笑)。
二宮:なるほど(笑)。現役時代も目が覚めて競技のことを考えこんだりしましたか?
鈴木:それはあまりなかったですね。体が心地よく疲労していたので、スッキリ寝られたのだと思います。今はたぶん運動不足なんでしょうね。
二宮:最近は泳いでいないのでしょうか?
鈴木:もう本当に「目」だけです。泳ぐのは(笑)。
二宮:目がバサロなんですね(笑)。
鈴木:ダイナミックに泳いでいます。
二宮:いやぁ、一本取られましたね。
鈴木:"待っていました"という質問でしたからね。
【現場を知ることからのスタート】
二宮:鈴木長官が金メダルを獲ったのは1988年のソウルオリンピックです。この大会からパラリンピックは、オリンピックと同じ都市で開催されるようになりました。そのころのパラリンピックのイメージはどんなものだったでしょうか。
鈴木:本当に申し訳ないのですが、あの頃はオリンピックの後にパラリンピックが開催されているとは全く知りませんでした。
伊藤:それまで1964年の東京大会以外では国が一緒でもオリンピックと別の都市でパラリンピックは開催されていました。そういう状態だと選手同士の交流もないですし、国内のメディアでの扱いもほとんどなかったですからね。
鈴木:それを考えると、今はパラリンピックに対する認知はだいぶ進んできたのかなと思いますね。
二宮:そうですね。長官に就任して以降、いろいろと現場を視察されています。パラリンピアンに話を聞いて考えを改められたり、あるいはこうした方がいいとアドバイスしたりしたことはありましたか?
鈴木:まずパラリンピックや障がい者スポーツに関して、私はほとんど無知に等しいと思っています。だから国立リハビリセンターなどの施設を始め、各種障がい者スポーツのイベントや大会にまず足を運ぶ。そこで実際に現場を目で見て関係者と話をする、ということから始めたわけです。障がい者スポーツの環境が整っていないことや、裾野の部分の広がりがまだまだ足りないと感じることもありました。微力ながら、これから皆さんと共に少しずつ良い方向に進めていきたいと思います。
伊藤:就任されて短い期間ですが多くの大会にお越しくださっているので、選手・関係者の皆さんはすごく心強く思っていますよ。
鈴木:まず私のような立場の人間が積極的に足を運ぶことが大事かなと思いますね。競技性が高く非常に素晴らしいスポーツがありますし、選手たちにも同じ競技者としてすごく尊敬できる部分があるなと感じました。いろいろと視察に行って、本当に目から鱗が落ちましたね。
(第2回につづく)
<鈴木大地(すずき・だいち)>
1967年3月10日、千葉県生まれ。小学2年で水泳を始め、高校進学後に個人メドレーから背泳ぎに転向した。84年ロサンゼルス五輪に出場。88年ソウル五輪では100メートル背泳ぎで金メダルを獲得。日本競泳界16年ぶりの快挙だった。現役引退後は米国に留学し、大学で客員研究員やコーチを務めるなど、活動の幅を広げた。帰国後は、2000年から母校の順天堂大学に勤務し、水泳部監督に就任。07年には医学博士の学位を取得。09年から日本水泳連盟理事を務め、13年に同連盟の会長となった。14年に2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会の委員長を務めた後、15年に文部科学省の外局として発足したスポーツ庁の初代長官に就任した。
(構成・杉浦泰介)