二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.03.17
第2回 共存共栄で相乗効果に期待
~スポーツ庁初代長官が目指す共生社会~(2/4)
二宮:これまで日本はパラリンピックで水泳競技が多くのメダルを獲得しています。長官も背泳ぎの金メダリストですから、いろいろとアドバイスできる点もあるのではないでしょうか。
鈴木:確かに競技そのものやトレーニングなど相通じる部分がありますので、そういう機会があれば積極的に行動をしていきたいと思っています。先日も関西にいる選手のところに行きまして、いろいろと意見交換をさせていただきました。また、おっしゃる通りパラリンピックでは水泳でメダルを量産してくれていますが、特定の選手が複数メダルを獲るということが多かったと思います。そこに強化を押し進めていくのも大事ですが、多くの選手がメダルを獲ることができるような体制づくりも必要ですよね。
二宮:1人の選手だけでメダル数を増やすのではなく、選手団全体で多くのメダルを獲得できれば裾野が広くなりますね。
鈴木:そうですね。それができれば、障がい者スポーツの普及が進んでいることの証明にもなるのではないでしょうか。
伊藤:もっと障がいのある方がスポーツに関わっていくためには、いろいろなアプローチの仕方があると思います。地域でやっていくのもひとつですし、学校の体育でやっていくのもひとつではないでしょうか。例えば小学校の教員免許、中学・高校の保健体育の教員免許を取得するための過程です。障がい者スポーツに関する科目は大学のカリキュラムにはあるんですが、それは必修科目ではないんですね。これを必修科目にできれば、障がいのある子がどうすれば体育の授業に参加できるかを先生が考えながら進めていくきっかけになります。そうすれば障がいのある子が体育の時間に見学をしないですむようになるのではないでしょうか。
鈴木:私は大学の教員もやっていましたので、教員免許を取得する際には、学生に障がい者に対するボランティアなどを義務付けていたかと思います。でも、まだまだ足りないというところがある。教員免許を取得する際に障がいのある児童・生徒も教えられるようなシステムの構築がやはり望まれますよね。
【理解促進で普及拡大へ】
二宮:もともと障がい者スポーツは厚生労働省の管轄でした。昨年10月にスポーツ庁が発足したことによって管轄も一元化されました。引き継ぎはうまくいきましたか?
鈴木:昨年度からスポーツ振興の観点が強いところは文部科学省に移管されて、10月からはスポーツ庁が引き継ぎました。さらに、地域における障がい者スポーツの普及促進に係る方向性の検討を行うために、平成27年度からは有識者会議が始まりました。地域での裾野の拡大や健常者と障がい者が一緒になって取り組むなど、様々な議論をさせていただいています。少しずつ勉強しながら、これまでの業務をさらにパワーアップできるような体制を整えています。
二宮:健常者と障がい者が一緒になっての取り組みという話がありましたが、前回のインタビューでブラインドサッカーの落合啓士選手にこんな話を伺いました。ブラインドサッカーの強豪国・ブラジルでは、幼いころには障がい者と健常者の区別なく一緒にボールを蹴って育っているそうです。そのなかでいろいろなスキルが磨かれている。そういった国と比べると、まだ日本では健常者は健常者、障がい者は障がい者という壁があるようなことをおっしゃっていました。もちろん安全面の配慮などは必要ですが、垣根を取り払えばとても良い環境になるんじゃないかなと思うんですよね。
鈴木:そうですね。そのように一緒に強化していく環境が大切かもしれません。また、車いすマラソンに健常者が参加してもいいわけですし、車いすバスケットボールを健常者がプレーしてもいいのだと思います。障がい者スポーツを体験することで一気に普及も進むかもしれません。そういう取り組みも理解を促進するためのひとつの道かなとの思いはありますね。
二宮:ロンドンパラリンピックの100メートル背泳ぎ金メダリストの秋山里奈選手は、当時は普段は障がい者スポーツの選手がトレーニングで使えなかった国立科学スポーツセンター(JISS)のプールで本番前に練習をしたそうです。金メダルを獲れた理由のひとつに本番と同じタッチ板を経験できたことを挙げていました。健常者と同じ国内トップクラスの施設で練習できたから本番でも違和感なく泳ぐことができた。このこともメダル獲得に大きく影響したはずです。
鈴木: なるほど。それに障がい者が健常者と同じ場所で一緒に練習することでお互いに刺激を受けますよね。そういったことがこれからも、もっと促進されていくといいですね。
(第3回につづく)
<鈴木大地(すずき・だいち)>
1967年3月10日、千葉県生まれ。小学2年で水泳を始め、高校進学後に個人メドレーから背泳ぎに転向した。84年ロサンゼルス五輪に出場。88年ソウル五輪では100メートル背泳ぎで金メダルを獲得。日本競泳界16年ぶりの快挙だった。現役引退後は米国に留学し、大学で客員研究員やコーチを務めるなど、活動の幅を広げた。帰国後は、2000年から母校の順天堂大学に勤務し、水泳部監督に就任。07年には医学博士の学位を取得。09年から日本水泳連盟理事を務め、13年に同連盟の会長となった。14年に2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会アスリート委員会の委員長を務めた後、15年に文部科学省の外局として発足したスポーツ庁の初代長官に就任した。
(構成・杉浦泰介)