二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.07.28
第4回 リオ、そして東京へ
~連覇に懸けるストライカー~(4/4)
二宮:5月31日現在の世界ランキングで日本は4位です。金メダルを争った中国が1位、開催国ブラジルが2位、カナダが3位にいます。リオデジャネイロパラリンピックではこれらのチームがライバルになってくるのでしょうか?
安達:その3カ国のほかにも今大会が初出場のトルコ、ロシア、イスラエルは4年前に比べて確実にレベルが上がっているチームです。若いチームが成熟して、力を発揮してきていると感じます。2年前の世界選手権ではロシアが準優勝、トルコが3位、イスラエルがベスト8と結果を残してきています。4年間で、日本はレベルアップできていると思うのですが、世界のチームも日に日にメキメキ強くなってきています。リオは厳しい戦いになるなと思っています。
伊藤:改めてリオパラリンピックの目標を教えていただけますか。
安達:やはり世界の頂点を目指すというところは変わらないですね。今回も金メダル、世界一を目標にしています。
二宮:ロンドン大会に続いて、連覇になりますね。
安達:そうですね。ただ、その言葉を口に出すまでには長い時間がかかりました。ロンドンパラリンピックの前はなりふり構わずに金メダルを目指していたので、ただただ"自分たちは金メダルを獲るんだ"という思いを言葉に出して行動し続けていました。でもロンドン大会のあとで振り返ってみると、金メダルを獲るまでの過程はすごく大変だった。だからこそリオを目指す中でなかなか「金メダル」という言葉を口にできない時期もあったんです。結果が出ないこともあり"本当にこれで勝てるのか"と不安になったこともありました。
二宮:それほど、金メダルのプレッシャーが大きかったのですね。
安達:はい。それでも最後の最後にリオへの切符を手にすることができました。今回のパラリンピックで連覇にチャレンジできる国は日本しかないので、そこに価値があると思っています。
【ひとつのスポーツとして捉えてほしい】
伊藤:安達選手は2009年からリーフラスに入社されました。やはり会社のサポートは大きいですか?
安達:そうですね。北京パラリンピックに出場した時はまだ学生だったのですが、卒業後、「まずはロンドンを目指してやっていこう」という時にリーフラスに声を掛けてもらいました。当時からゴールボールの練習環境は重視していたのですが、日々のトレーニングなど競技に関する多くのことを会社が理解してくれているので感謝しています。だからこそ、結果を出して恩返しをしたいと思っています。
二宮:リオデジャネイロパラリンピックは、安達選手にとっては3大会目のパラリンピックになります。北京、ロンドンと経験してこられて、以前と比べて環境面は改善されましたか?
安達:普段の練習環境に関しては、私はリーフラス入社以来変わりなく競技に集中させてもらっています。代表に関してはやはり北京の時に比べたら、かなり恵まれていると感じます。北京の切符を獲りに行く世界選手権では、遠征に行くのも自己負担でした。私は当時学生でしたので、そういった経済的な面でも苦労が多く、一度は競技を諦めかけたこともあります。そんな時、私の地元である福岡県八女市の方々が支援してくださったので、ゴールボールを続けることができました。今は金銭面に関しては自己負担もなくなり、周囲の方にとても感謝しています。
伊藤:では2020年に東京でパラリンピックが行われることによって、社会がどう変わってほしいですか?
安達:やはり東京パラリンピックをきっかけに障がい者スポーツを知っていただいて、触れてもらえる機会が増えていってほしいです。これから先は障がいの有無に関係なく、共存できるような環境づくりが大事になってくると思います。まだどうしても障がいがある人に対して、少し構えてしまうような部分があると思うので、そういった壁のない社会になればうれしいです。その意味では私たち、障がいがある人たちがもっと表に出ていくということも大事だと思います。
伊藤:体験会やイベントなども積極的にやっていきたいと?
安達:そうですね。リーフラスに入社してからは講演や体験会などでゴールボールの魅力をたくさんの方に発信しています。ゴールボールはアイシェードを装着すれば、皆が同じ条件でできるスポーツです。障がい者スポーツとしてではなく、ひとつのスポーツとして捉えて体験していただけたらなと。それにゴールボールは実際に1回体験した方が、観戦した時に何倍も楽しむことができると思うんです。その機会をもっと増やしていって、東京パラリンピックでゴールボールを観て楽しんでいただければいいなと考えています。
(おわり)
<安達阿記子(あだち・あきこ)>
1983年9月10日、福岡県生まれ。14歳の時に右目に黄斑変性症を発症し、19歳で左目も発症。2006年に国立福岡視覚障害センターへ入所し、ゴールボールに出合う。翌年に日本代表として世界選手権に出場すると、08年の北京パラリンピックにも出場した。12年のロンドンパラリンピックでは初の金メダル獲得に貢献。09年にリーフラス株式会社に入社し、講演会や体験会などの普及活動にも努めている。
(構成・杉浦泰介)