二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.08.18
第3回 メダルを獲ってデフリンピックの魅力を伝えたい
~夫婦で競い、共に目指す世界一への夢~(3/4)
二宮清純:続いて裕士選手にお話を伺います。裕士選手は聴覚障がい者のオリンピック、デフリンピックの陸上競技日本代表選手です。まずは聴覚障がい者の陸上競技と健常者の陸上競技のルールの違いから教えてください。
髙田裕士:基本的なルールは同じです。プラスアルファで聴覚障がいに配慮した器具の使用が認められています。例えば短距離走の場合はスタートブロックの前に光るランプを付けます。「位置について」で赤く光り、「ヨーイ」で黄色に変わり、「バン(号砲)」で緑に点灯するというように視覚で確認できる装置です。このように聞こえない人に配慮している点が、一般の陸上競技とは違うところだと思います。それ以外は全部同様に行われています。
二宮:他にはどんなルールが?
裕士:あとは補聴器を外さなければいけない決まりがあります。貧しい国だと補聴器を買うお金がないという事情もある。陸上競技の場合はあまり関係がないのですが、サッカーやバスケットボールなどコミュニケーションが重要な競技では音の情報が得られるか得られないかで大きく差がついてしまう。それで全員が補聴器を外す決まりになっています。
二宮:裕士選手は2012年世界ろう者陸上競技選手権の1600メートルリレーで3位に入りました。これはろう者陸上競技界において、トラック種目で日本勢初のメダルです。また400メートルハードルでも2013年のデフリンピックで7位入賞、今年の世界選手権では5位入賞を果たすなど、第一線で活躍を続けています。現在31歳ですが、自分のパフォーマンスはまだまだ伸びているという実感はありますか?
裕士:はい。実は今年からハードル専門のコーチにアドバイスをいただいています。私は2013年に400メートル走からハードルに転向したのですが、今までしっかりした指導を受けないまま跳んでいました。しかし我流では限界があると思い、今年3月からアドバイスをお願いしているんです。400メートルハードルの日本代表だった吉形(政衡)さんというコーチなのですが、ろう学校の先生をされていたので手話もできます。その成果もあって、今年の世界選手権で300メートルまではメダリストと互角に走れました。まだ十分に戦えるという手応えを感じています。
二宮:短期間で掴めたものは大きいと?
裕士:ええ。ハードルの技術をあげて、ラスト100メートルの失速を抑えることができれば、メダルを獲れると実感しました。その点は成長できている部分かなと思います。
二宮:400メートル走を見ていても、最後の直線を走り終えると倒れ込む選手がいます。
裕士:そうですね。400メートル走でもきついのですが、加えてハードルを跳ばなければならないので、自分でもつらい種目だと思います。
二宮:自己ベスト更新のための課題は?
裕士:レース後半の走りが課題です。 前半の走りは速いので、持っているスピードを落とさずに走れれば52秒から53秒くらいは出せると言われています。ただ残り200メートルあたりのコーナー付近で少し休んでしまう癖があるんです。一度ピッチが落ちてしまうと、次のハードルを跳ぶまでの歩数が決まっていますので、ペースを上げて再び加速することはなかなか難しいんです。400メートルハードルを走り切るスタミナは残っているのに後半失速してしまっているので、今はそこを意識して練習をしています。
二宮:裕士選手にとっての陸上競技の魅力とは?
裕士:陸上競技はリレーを除けば基本的には個人競技です。団体競技と違って、自分自身の大会までのプロセスや努力がダイレクトに結果に反映されます。そこが魅力だと思います。
【自ら発信していく姿勢】
二宮:裕士選手は、多くの企業にデフリンピック代表選手としてのご自身を売り込んで現在のエイベックス・グループ・ホールディングスに所属することになりました。デフリンピックの魅力についても自らが社会に発信していきたいと?
裕士:そうですね。やはりまだデフリンピックは黙っていても取り上げられるという位置付けにはありません。だからこそ"自分から"という思いはすごくありますね。
二宮:物事に対する積極的な姿勢は、ご両親の影響でしょうか?
裕士:僕の場合は親がとても厳しく、なかなか自分の好きなことができないということもあったので、その反動なのかもしれないですね(笑)。大学に入ってからは一人暮らしを始めました。そこからは自分でやりたいと思ったら、自分で決めて行動するという自立心のようなものが出てくるようになったかもしれません。
二宮:千明選手はそういった姿勢をどう見ていますか?
髙田千明:やはりすごいと思います。主人は"自分はこういうことを提供できますから、かわりにこういうことをしてもらえませんか?"というような要望を何百という会社へメールを送って、今の所属先に就きました。実は私が今の所属先に入った経緯にも主人の助けがありました。私のような視覚障がい者選手の場合、競技アシスタントを遠征にも連れて行く必要があるので2倍費用がかかるんです。そこを少しでもカバーできるようにと主人がいろいろと会社を探してくれました。「こちらから聞かなければ、向こうから誘ってくれることはない。自分から言わないとダメだね」と。そういう自分から発信していけるところは本当にすごいなと思います。でも、「もうちょっと家のことを見ましょうね」とも思いますね(笑)。
二宮:アハハハ。それは手厳しい。さて、2020年東京オリンピック・パラリンピック開催決定もあって、国内でもパラリンピックが注目されてきています。デフリンピックの選手から見て、この盛り上がりはどう思われますか?
裕士:とても素晴らしいことですし、正直うらやましいと思うところがあります。実はデフリンピックの方がパラリンピックよりも日本のメダル獲得数は多いんです。それでも注目されたりメディアに取り上げられる機会は少ない。
二宮:寂しい思いもあると?
裕士:ええ。国際オリンピック委員会(IOC)がオリンピックという名称の使用を認めている大会はオリンピックとパラリンピックとデフリンピック(聴覚障がい者のオリンピック)とスペシャルオリンピックス(知的障がい者のオリンピック)の4つなんです。だから現在のオリンピックとパラリンピックが同じ年に同じ都市で開催されるように、デフリンピックとスペシャルオリンピックスを合わせた4大会全部を一緒にしてほしいという思いが個人的にはあります。
二宮:来年はトルコのサムスンでデフリンピックが開催される予定です。自分がメダルを獲って、デフリンピックの認知度を上げたい、盛り上げたいという気持ちもおありでは?
裕士:そうですね。やっぱりメダリストの発言ってすごく重いと思うんです。自分はまだデフリンピックではメダルを獲れていないので、早くメダリストになって、もっとデフリンピックのことを知ってもらいたいですね。
(第4回につづく)
<髙田裕士(たかだ・ゆうじ)>
1984年11月3日、東京都生まれ。エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社所属(エイベックス・チャレンジド・アスリート公式HP)。高校までは野球部で、横浜国立大学入学後に陸上競技部へ転向した。専門は400メートルと400メートルハードル。2012年トロント世界ろう者陸上競技選手権大会の 1600メートルリレーでは第1走者として、銅メダル獲得に貢献した。聴覚障がい者の国際大会における日本男子トラック種目史上初のメダル獲得だった。2015年アジア太平洋ろう者競技大会の400メートルハードルでは銀メダルを手にした。デフリンピックは2009年台北大会、2013年ソフィア(ブルガリア)大会と2大会連続出場中。来年のサムソン(トルコ)大会でのメダル獲得を目指している。
<髙田千明(たかだ・ちあき)>
1984年10月14日、東京都生まれ。ほけんの窓口グループ株式会社所属。2011年 IBSA ワールドゲームズで 200メートルで銀メダル、100メートルでは銅メダルを獲得し、全盲日本人女子短距離初のメダリストとなった。2013年に走り幅跳びへ転向。同年の IPC陸上競技世界選手権大会の走り幅跳びで6位入賞を果たした。2014年のアジアパラ競技大会では同種目で銀メダル獲得。2008年に長男・諭樹くんを出産した後も活躍を続けており、全盲のママさんアスリートとして注目されている。今年7月にリオデジャネイロパラリンピック日本代表に決定した。
(構成・杉浦泰介)