二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.08.25
第4回 金メダルは先に獲る
~夫婦で競い、共に目指す世界一への夢~(4/4)
二宮清純:2020年にはオリンピック・パラリンピックが東京で開催されますが、それに伴って環境面は良くなってきていますか?
髙田裕士:社会のパラアスリートに対する理解や関心は以前よりも高まってきていると感じます。パラアスリートでもプロになる人がいたり、企業からサポートを受けて競技に取り組む人が増えてきたと思います。ただ、障がい者と関わる機会が少ない一般の人の心のバリアフリーという点では、海外に比べると遅れているのかなという気がします。
二宮:それはどのあたりに感じるのでしょう?
裕士:はい、僕は国際大会に出るたびに思うところがあります。ヨーロッパに行くことが多いのですが、あちらでは違う国が地続きで連なっていますし、EU圏内であればかなり自由に国を行き来できます。つまり言葉が違うことは日常的なことなんです。だから向こうの人は言葉が通じない人がいたとしても、「この人は耳が聞こえないのか、この国の言葉が喋れないのかわからないけど」と、身振り手振りでコミュニケーションを取るという行為が自然に出てくるんです。でも日本では違います。例えば、声が出せない陸上の仲間が身振り手振りで伝えようとすると、お店の人がびっくりしたり戸惑うことがある。「ちょっとわからないです」とコミュニケーションすら取ってくれない方もいるそうです。設備面でのバリアフリーはすごく進んでいるのですが、人の心のバリアフリーという部分ではまだそれに追い付いてきていない気がします。
二宮:なるほど。そこに改善の余地があると。
裕士:2020年にオリンピック・パラリンピックを開催するにあたって、これからたくさんのパラアスリートや障がいのある観光客が日本に来ると思うんです。海外では「助けが必要かな?」という人を見かけると、向こうから積極的に「困っているの?」と声をかけてくれます。でも日本だと、心の中で「助けが必要なのかな」と心配はしてくれてはいても行動に移せない方が多いと思うんです。そういうところが今後の4年間で少しずつでも変わってほしいですね。
二宮:ブラインドサッカーの落合啓士選手は点字ブロックのあるところで人と衝突したり、荷物が置いてあったりして困ると話していました。千明選手は日本でそういう不便さを感じたことはないですか?
髙田千明:ありますね。駅で感じることが多いです。点字ブロックの上に人が並んでいたり、荷物を置いていて困ることがあります。そのため私は1人で歩いているときは白杖で強めに地面を叩いて音を立たせます。なるべく「自分はここを通ります」と伝わるようにしますね。また、白杖で地面を叩く音が同じリズムだと、耳が慣れて気が付かなかったりもする。そのため私は歩きながらガムを噛むようにしていて、膨らませて割って音を鳴らすこともあります。そうすると、気付いて避けてくれたりするんですよ。
二宮:大変なご苦労をされているわけですね。
千明:そうですね。音に驚かれる方もいますが、お互いが怪我をするよりは気付いて避けてもらえるほうがいいですからね。それでも人は気が付いたら避けてくれますが、物は避けてくれません。昔は街中で点字ブロックの上に看板を置かれてぶつかることもあったんです。最近ではようやく減りましたね。
【認めつつも、"負けたくない"想い】
二宮:裕士選手も千明選手もトップレベルの現役パラアスリートとして活躍されています。お互いにアドバイスをしたり、聞いたりすることはありますか?
裕士:いえ、あまりしませんね。
千明:やはり種目が違うことが大きいと思います。同じ陸上とはいっても、私が100メートルと幅跳びで主人が400メートルと400メートルハードルですから、競技に関してアドバイスを言うことも求めることもありませんね。ただ主人は「こういう治療院があって、先生がすごくいいよ」とか、競技につながる情報をいち早くキャッチしてきます。例えば、酸素カプセルやフィジカルトレーニングなど、主人は自分で調べていろいろと紹介してくれます。
二宮:それは心強いですね。
千明:やはり自分から発信する力は主人のほうが強いんです。自分たちに必要なものがあれば、積極的に「自分たちはこういうことならできます」と企業などに売り込んで、サポートを受けられるように働きかけるんです。加えて「奥さんもパラリンピック目指して頑張っているから、一緒にお願いできませんか?」ということもすごく言ってくれる。私はその恩返しとして、自分の競技で結果を出してデフリンピックを広げてもらっています。どういうことかというと、パラリンピックは東京2020の影響もあって、デフリンピックに比べればメディアには取り上げられやすい。だから私がメディアに出る時には家族一緒にという形を取ることもあります。
二宮:互いを認め合い、支え合っているわけですね。一方でライバル視する気持ちもあるのでしょうか?
裕士:それはありますね。
千明:そうですね。今は私のほうが勝っているような感じです。海外の試合に出始めたのは主人のほうが早いのですが、メダルを獲ったのは私が先なんです。2011年に出場した「IBSA WORLD GAMES」(視覚障害者の世界大会)では、200メートルで銀メダル、100メートルでは銅メダルを獲得しました。主人がメダルを獲ったのは、翌年の世界ろう者陸上競技選手権大会(1600メートルリレーで銅メダル)です。
二宮:現在は千明選手が先行していると?
千明:そうですね。アジアの大会でも、私が先にメダルを獲得しました。2014年アジアパラ競技大会の走り幅跳びで銀メダルです。主人は2015年のアジア太平洋ろう者競技大会の400メートルハードルで銀メダルを手にしました。主人が私の後を追っかけてきているような感じになっていますね。ただ持っているメダルは互いに銀と銅しかない。今はどっちが先に金メダルを獲るかという勝負ですね。
二宮:息子さんにとっては自慢のパパとママですね。
千明:子供は1番がすごく好きなので、「金メダルがほしい」とよく言っています。だからどっちが先に子供に金メダルを首に掛けてあげられるか。正直、昨年の大会では主人が「金メダルも狙える」と言って出発したので、「銀メダルだった」と結果を聞いた時に残念と思う反面、"良かった金じゃなくて"と思いました(笑)。息子に「パパ、銀だってよ。"金獲ってくる"って言ったのにね」みたいなことを言ってからかったりしています。お互い「絶対、先に獲る」と言っているので、デフリンピックとパラリンピックと戦っているステージは違いますが、やはり「どちらが先に金メダルを獲るか」ということは、常々思っているところですね。
(おわり)
<髙田裕士(たかだ・ゆうじ)>
1984年11月3日、東京都生まれ。エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社所属(エイベックス・チャレンジド・アスリート公式HP)。高校までは野球部で、横浜国立大学入学後に陸上競技部へ転向した。専門は400メートルと400メートルハードル。2012年トロント世界ろう者陸上競技選手権大会の 1600メートルリレーでは第1走者として、銅メダル獲得に貢献した。聴覚障がい者の国際大会における日本男子トラック種目史上初のメダル獲得だった。2015年アジア太平洋ろう者競技大会の400メートルハードルでは銀メダルを手にした。デフリンピックは2009年台北大会、2013年ソフィア(ブルガリア)大会と2大会連続出場中。来年のサムソン(トルコ)大会でのメダル獲得を目指している。
<髙田千明(たかだ・ちあき)>
1984年10月14日、東京都生まれ。ほけんの窓口グループ株式会社所属。2011年 IBSA ワールドゲームズで 200メートルで銀メダル、100メートルでは銅メダルを獲得し、全盲日本人女子短距離初のメダリストとなった。2013年に走り幅跳びへ転向。同年の IPC陸上競技世界選手権大会の走り幅跳びで6位入賞を果たした。2014年のアジアパラ競技大会では同種目で銀メダル獲得。2008年に長男・諭樹くんを出産した後も活躍を続けており、全盲のママさんアスリートとして注目されている。今年7月にリオデジャネイロパラリンピック日本代表に決定した。
(構成・杉浦泰介)