二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.10.20
第3回 日の丸を背負ったワールドカップ
~第一人者が創る電動車椅子サッカーの未来~(3/4)
二宮清純:国際ルールが統一されて、2007年に日本でワールドカップが行われました。記念すべき第1回大会に出場して、印象に残っていることはありますか?
北沢洋平:たくさんのサポーターですね。「infinity」というサッカーの日本代表も応援しているサポーター団体が会場に駆けつけてくれました。さらにチーム全員に名前入りの応援歌も作ってくれて、なんだか不思議な気持ちでした。いつもテレビで見ていた日本代表への応援を自分たちに向けてやってくれた。すごくうれしかったですし、とても力をもらいました。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長):サッカー関係者でも電動車椅子サッカーの日本代表を応援している人は多いですよね。元日本代表監督岡田武史さんもそのひとりです。
北沢:はい。第1回のW杯では大会前から支援していただいて、会場にもいらっしゃいました。試合前にも日本代表を激励していただいたんです。
二宮:それは心強いですね。第1回W杯の結果は?
北沢:7カ国中4位です。そして4年後にフランス・パリで行われた第2回大会も、10カ国中5位と納得のいく結果を出せませんでした。
二宮:4位と5位という成績は悔しい思いの方が強いですか?
北沢:そうですね。特に第2回のフランス大会ではチームの中心選手だった(城下)歩が、現地で行われたクラス分け審査の結果、出場できないというアクシデントがありました。彼の悔しい気持ちも伝わってきたので、その思いを晴らすためにも頑張ったんですが、5位で終わってしまった。すごく悔しい思いが残っています。
伊藤:ワールドカップでブルーのユニホームを着てプレーをされて、どんな思いがありましたか?
北沢:日本の国旗を背負っているので、誇らしかったです。あとは電動車椅子サッカーをやりたくてもやれない人もいっぱいいて、夢半ばで亡くなった人もいる。だから"その人たちに恥じないプレーをしよう"と思っていました。ただ結果がなかなかついてこなかった。だからこそ第3回は集大成じゃないですけれども、そんな気持ちの全てをぶつけたいと思います。まずは日本代表に選ばれなければいけませんから、気を引き締めて頑張りたいと思います。
【セットプレーが勝敗のカギ】
二宮:北沢選手のポジションはセンターですが、一般のサッカーで言うとどのような役割なのでしょう?
北沢:攻守に動き回るボランチのような役割です。電動車椅子サッカーは4人のうちGKが1人。その他の3人がフィールドプレーヤーで、センター1人と両サイドが一般的な構成です。
二宮:フィールドプレーヤーが3人ですと、当然パスコースは限られてきますよね。
北沢:そうですね。さらにグラウンダーのボールしかありませんので、受け手のスペースを作り出す動きが重要になってきます。
二宮:おとりの動きがカギになると。
北沢:はい。1人が動くと、マークしている相手もつられてスペースが空きます。それをうまく利用しながらパスをする。相手守備の穴ができれば、自らドリブルで持っていってシュートを打つことも可能です。サッカーの戦術眼がより必要となってきますね。
伊藤:プレーを参考にしているサッカー選手はいるのでしょうか?
北沢:ドリブルが巧い選手ですね。リオネル・メッシ選手やクリスティアーノ・ロナウド選手。足技は結構参考になったりするので、そこを注目して観ています。あとはフットサルに戦術が近いので、フットサルの試合を見て研究したりもします。
二宮:現在、強化している点は?
北沢:今は同じモーションで違う方向に蹴る練習をかなりしています。車椅子の性能も上がり、ディフェンス側がボールに瞬時に反応できるようになってきています。より相手にタイミングやコースを読まれないよう同じモーションで蹴る工夫をしています。ドリブルとパスは自分の得意なところだと思っているので、そこはアピールしたいと思います。
伊藤:電動車椅子サッカーはプレースキックが多いので、セットプレーが重要だとお聞きしました。
北沢:そうですね。得点の8割ぐらいはセットプレーから生まれています。つまりいろいろなパターンを持っているチームが強い。僕が所属するレインボー・ソルジャーでもセットプレーはたくさん練習しています。
二宮:2人で蹴る「ツインシュート」やトリックプレーなどバリエーションもあるようですね。アイデアは北沢さんが出すのでしょうか?
北沢:チームで考えたり、コーチと話し合って決めています。同じキックでも、車体の振り方ひとつでボールのスピードも角度も変わる。平面のスポーツでもあるので、電動車椅子サッカーはビリヤード的な要素もあると言う人もいますね。
(第4回につづく)
<北沢洋平(きたざわ・ようへい)>
1984年3月14日、東京都生まれ。6歳の時、筋ジストロフィーと診断される。小学5年で電動車椅子サッカーを始める。95年に東京のクラブチーム・レインボーソルジャーを結成し、主力選手として日本選手権5度の優勝を経験する。日本代表では2007年日本大会(4位)、11年フランス大会(5位)と2度のW杯に出場し、チームの主力としてプレーした。13年には第1回APOカップ(アジア太平洋オセアニア選手権)で優勝。PwCあらた有限責任監査法人に所属。
※競技の映像をこちらから見ることができます。(映像/日本電動車椅子サッカー協会)
(構成・杉浦泰介)