二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.11.10
第2回 3度のパラリンピック出場で学んだこと
~パラアスリートの真の強化を目指す~(2/4)
二宮清純:水泳を始めたのは3歳からだとお聞きしました。どんなきっかけで始めたのでしょう?
山田拓朗:元々、僕は水をすごく怖がっていたみたいで、「それではダメだ」と両親がスイミングスクールに連れて行ったそうなんです。
二宮:やり始めたら上達は早かった?
山田:そうだと思います。幼稚園にいる間に4泳法は一応泳げるようになりましたから。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長):幼稚園で4泳法はすごいですね。
二宮:中でも自由形が一番得意だったんでしょうか?
山田:小さい頃は、平泳ぎが得意だったと思います。それから徐々に個人メドレーなどをやっていたのですが、中学生くらいから自由形の記録が一番伸びるようになってきました。そこからは自由形をメインにしています。
二宮:その頃は健常者も出場する大会で優勝を争っていたんですよね。
山田:そうですね。小さい頃は大会で上位にも入っていました。
二宮:すごいですね。山田選手は左腕に欠損の障がいがありますが、右腕とのバランスの問題で、曲がらずに真っ直ぐ泳ぐことに関しては苦労があったのでは?
山田:真っすぐ泳ぐということだけに関して言えば、生まれつきこの状態なので、特に意識したことはないんです。そのために特別なトレーニングをしてきたわけでもありません。
二宮:その分、下半身など全身を使って自然にコントロールしているんでしょうね。ところで、山田選手がパラリンピックを意識したのは小学生の時だと伺いました。
山田:はい。2000年のシドニーパラリピックに、当時所属していた障がい者水泳チームの先輩が出場していたんです。酒井喜和さんという男子100メートル背泳ぎ(視覚障がい)などで金メダルを獲得した選手なのですが、帰国後に金メダルを見せてもらいました。すごく感動したことを覚えています。
二宮:メダルを実際に触ってみると感動しますよね。
山田:ええ。それまでメダルもあまり見たことがなかった。すごく大きく、重く感じました。
二宮:そこで"自分もいずれパラリンピックに出たい"と思ったのでしょうか。
山田:そうですね。それまではパラリンピックという大会があることさえ、理解していなかったと思います。
伊藤:今とは違い報道も少なかったですから無理もありませんね。
【北京で知った決勝の怖さ】
二宮:初めてのパラリンピックは13歳の時に出場したアテネ大会です。4年に1度の大舞台ですから「初めての出場の時は地に足がつかなかった」という話も聞きますが、山田選手はどんな心境でしたか?
山田:僕もそんな感じでしたね。2008年の北京大会を目標にやっていたので、まさか自分が代表に選ばれるなんて思っていなかった。実力的にもメダルが獲れるというレベルではなかったので、さほど緊張もせずただただ"夢が叶った""目標としていた大会に出ることができて嬉しい"と。舞い上がっていたような気がしますね。
伊藤:13歳ですものね。すごいですね......。
山田:正直、よく分かっていなかったですね(笑)。
二宮:なるほど(笑)。2回目以降のパラリンピックでは、大舞台の怖さや難しさを味わったと?
山田:そうですね。例えば予選と決勝では、全然緊張感が違います。さらに決勝でメダルを狙うとなると、また変わってくるんですよね。上に行けば行くほど緊張しますので、そこで結果を残すのはとても難しい。僕はそれを3回経験して、ようやくわかりましたね(笑)。
二宮:決勝の舞台は特別なんでしょうね。プレッシャーで体が震えることも?
山田:はい。北京パラリンピックの時は、ランキング的にいい位置で大会に入り、周囲の期待も大きかったんです。初出場のアテネ大会で僕は1種目も決勝へ残れなかったので、北京パラリンピックで初めての決勝の舞台でメダルを狙うといった状況になりました。そんな時、大会までにめちゃくちゃ練習を積んでしっかりと準備してきたはずなのに、なぜだか周りが強そうに見えて負けそうな気がする。そんな不安が頭の中にありましたね。
伊藤:そのような経験が今回のリオデジャネイロパラリンピックで生きたのでしょうか。
山田:そうですね。これまでの経験で、周りを意識しても仕方がないことは分かっていました。"とにかく自分がいいパフォーマンスを発揮する"と、そのことだけを考えるようにしていましたね。冷静にレースへ臨むことができ、50メートル自由形ではメダルを獲ることができました。
(第3回につづく)
<山田拓朗(やまだ・たくろう)>
1991年4月12日、兵庫県生まれ。先天性左前腕亡失でS9、SB8、SM9クラス。3歳で水泳を始め、日本人史上最年少13歳で2004年アテネパラリンピック出場を果たす。その後も北京、ロンドン、リオデジャネイロと4大会連続出場。08年北京パラリンピックは100メートル自由形で5位入賞。12年ロンドンパラリンピックでは50メートル自由形で4位に入った。14年のアジアパラ競技大会では金メダル3個を含む、計6個のメダルを獲得。15年IPC世界水泳選手権では50メートル自由形で銀メダルを手にした。16年リオパラリンピックでは同種目で銅メダルを獲得した。NTTドコモ所属。
(構成・杉浦泰介)