二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2016.12.01
第1回 8年ぶりのメダルで手にしたもの
~挑戦し続ける車いすテニスのレジェンド~(1/4)
44歳のベテラン齋田悟司選手は、リオデジャネイロパラリンピックの車いすテニス男子ダブルスで国枝慎吾選手とのペアで8年ぶりの銅メダルを掴んだ。これまでパラリンピック6大会連続で出場し、2004年アテネパラリンピックの金メダルをはじめ3個のメダルを手にしてきた。シングルスでの世界ランキング最高位は3位、ダブルスでは1位に輝いたこともある。いまやパラスポーツを代表するメジャー競技となった車いすテニス。黎明期を支えてきたレジェンドに、競技への想いを訊いた。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長):今回のゲストはリオデジャネイロパラリンピックの車いすテニス男子ダブルスで銅メダルを獲得した齋田悟司選手です。リオから帰ってきてイベント出演やパレードなど忙しかったんじゃないでしょうか。
齋田悟司:そうですね。でも銀座でのパレードはすごく楽しませてもらいました。沿道には多くの人が詰め掛けてくれて、一生に一度あるかないかの経験ができた。メダリストしかバスに乗れないので、本当にメダルを獲れて良かったなと思います。
二宮清純:オリンピックのメダリストとも一緒にパレードに参加しましたね。
齋田:はい。表彰式で着るジャージも一緒でした。今回のパレードも合同でやってもらい、本当に分け隔てなくやっていただいたのは、うれしいですね。
二宮:改めて、リオパラリンピックを振り返っていただきたいと思います。齋田選手は今大会で6度目の出場です。アテネ大会では金メダル、北京大会では銅メダルを獲得しました。ロンドン大会ではメダルには届きませんでしたが、今回はどういった状況で臨みましたか?
齋田:今大会はダブルスでペアを組んだ国枝選手が4月に肘を手術した影響もあって、本調子ではありませんでした。練習も満足にできていない状態で、パラリンピック直前から練習を始めたという状況だったんです。
二宮:では試合勘にも不安があったでしょう?
斎田:ええ。しかし、これまでアテネ大会から何度もダブルスを組んでいますから、試合に出ていなくても、お互いに分かっている部分はありました。"シンプルに行こう"ということで、複雑なことは考えずに大会に臨みました。ただ、私自身には国枝選手と組むプレッシャーもありましたね。
二宮:結果を残さないといけない重圧と闘っていたと?
齋田:そうですね。ただ自分たちはダブルスのランキングも上位ではなく、第6シードとあまりいい位置とは言えなかったのですが、第1シードとは逆の山に入るなど組み合わせはいいところに入ったので、頑張ればメダルに絡めると思っていました。
【感極まった3位決定戦】
二宮:準々決勝で第3シードのフランスペア相手に勝利。準決勝では惜しくも敗れ、メダルを懸けた3位決定戦は後輩である眞田卓選手と三木拓也選手ペアとの日本人対決になりました。お互い手の内も分かっているでしょうから、やり難い面もあったのでは?
齋田:私たちは最近ダブルスで試合に出ていなかった分、直前合宿やリオに入ってからも、かなりダブルスのトレーニングをしました。そこで眞田選手、三木選手の2人に練習相手になってもらいましたけど、まさか3位決定戦で当たるとは思っていなかったですね(笑)。
伊藤:試合は2時間を超える熱戦でした。2人ともベースラインの後ろから、相手の強打を拾って繋いでいくという印象でしたが、事前に作戦を立てていたのですか?
齋田:そうですね。普段は私が狙われると前に出て行き、国枝選手が後ろで頑張るのが私たちのパターンなのですが、この日は国枝選手から「齋田さん、この試合は後ろでやってほしい」と言われたので、あまり前に出ないで戦いました。その分、試合が長くなったのだと思います。
二宮:試合時間2時間20分は、体力的にも精神的にもきついですよね。一番長かったときはどのくらいかかりましたか?
齋田:4時間近くまでやったことはあります。今回は2セットで終わりましたが、3セット目までもつれこめば長くなりますね。また1試合だけならいいですけど、同じ日にシングルスとダブルスに出場する場合は本当に体力勝負になります。
二宮:試合が終わった瞬間は、2人とも感無量という感じでしたね。
齋田:はい。やっぱり勝って大会を終われたというのが良かったです。
伊藤:今回もそうなのですが、金以外のメダルを獲った選手がうれしい顔をしていると、私はホッとします。銀も銅も本当にすごいと思うのですが、選手ご自身がうれしいかどうかは分かりません。でもリオでの齋田選手と国枝選手は本当に喜ばれていたので、すごくうれしかったです。
齋田:そうですね。3位決定戦の難しいところは、準決勝で1回負けた後に気持ちを立て直さないといけないからです。"負けていいや"と思ってやっているならいいかもしれませんが、私たちは当然勝ちに行って負けているわけですから、もう1回奮い立たせて、頑張らないといけません。
二宮:"落ち込むな"と言うほうが無理でしょうね。気持ちを整理して、もう1回挑むという作業は簡単ではない。
齋田:その通りです。やはりそういう厳しい経験を国枝選手と一緒にできたことは、私にとっても大きな財産になりました。国枝選手も「最後勝ってメダルを獲れて良かった」と言ってくれましたし、銅メダルを獲れたことはすごく誇りに思いますし、とてもうれしかったです。
伊藤:それが聞けて良かったです。試合が終わった後、国枝選手が先に泣いていましたね。
二宮:責任感もあるでしょうし、なにがなんでもメダルを持って帰るという思いがあったのでしょうか。
齋田:そうですね。私もプレッシャーはありましたが、彼の場合はその何倍も期待されていたと思います。シングルスで負けた後は厳しいことも書かれたりしました。本人もかなりナーバスになっていたのだと思います。自分は泣かないつもりだったのですが、泣いてしまいましたね(笑)。
(第2回につづく)
<齋田悟司(さいだ・さとし)>
1972年3月26日、三重県生まれ。12歳の時に骨肉腫で左足を切断。14歳で車いすテニスを始める。1996年アトランタ大会からパラリンピックは6大会連続出場。2004年アテネ大会で国枝慎吾と組んだ男子ダブルスで金メダルを獲得した。同じく国枝と組んだダブルスで2008年北京大会、2016年リオデジャネイロ大会で銅メダルを手にした。11月21日現在、世界ランキングはシングルス29位、ダブルス17位。身長185センチ、体重72キロ。株式会社シグマクシス所属。
(構成・杉浦泰介)
会場協力/ホテルサンルート千葉