二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.03.23
第4回 "あと1点"に泣いたリオパラリンピック
~世界で煌めく金髪の卓球王~(4/5)
二宮清純:リオデジャネイロパラリンピックでは、予選リーグ0勝2敗で決勝トーナメントへは進出できませんでした。
吉田信一:初戦は中国の選手だったのですが、すべてのセットで自分がリードしていながら負けました。どのセットもデュースになりながら競り負けてしまったので、気落ちした部分もあったんです。このストレート負けが次の試合まで影響したことが予選敗退の原因だと思っています。
二宮:勝負に"たられば"は禁物ですが、そこで勝っていればもっと上にいけていたと?
吉田:上位2名までが決勝トーナメントに進出するので、1勝すれば予選は通過できたんです。特に1試合目の中国の選手は周囲からの期待も大きくプレッシャーがあったと思うので、私も"負けて当然、当たって砕けろ"と、相手に向かっていく気持ちで戦えました。しかし、"あと1点で勝てる"という場面で、追いつかれて逆転されるというパターン。本当に悔しいです。卓球は「勝負所で1点取れない選手は負ける」と言われているので、まさにそのとおりでした。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長):スコアを見ると10-12、11-13、10-12です。
吉田:はい、接戦でした。"オマエにはまだパラリンピックでの「勝ち」は早い"というメッセージなのかもしれませんね(笑)。私が出場した車いす卓球のクラス3は世界でも競技人口が多く、パラリンピックには24人の選手が出場します。12人で戦うクラスもありますから、メダルを争うという意味では単純に比較すると倍の競争率です。
二宮:激戦区なんですね。そこからトーナメントで勝ち上がっていかないといけないわけですから。初出場となったパラリンピックは緊張しませんでしたか?
吉田:この年にして初でしたが(笑)、緊張はありませんでしたね。正直、普段の国際大会は会場に選手か関係者くらいなので寂しい思いもありました。アジアパラも経験もしていましたが、たくさんの観衆の中でプレーするのは気持ち良かったですね。
【"強さ"より"巧さ"が欲しい】
二宮:実際にプレーしてみてリオの会場はどうでしたか?
吉田:会場の雰囲気はすごく良かったです。毎日チケットが完売となったのは卓球だけだそうです。それだけ人気があり、試合も盛り上がっていて私もすごく気持ちが乗りました。"調子良いな"と思えたのですが......。初戦でどん底に落とされたような状況でした。
二宮:なるほど。予選敗退後はすぐに帰国されたのでしょうか?
吉田:閉会式まで選手村にいました。だから、いろいろと考える時間がありました。勝ち上がっていった選手たちの試合の模様をビデオに撮り、データを取りながら"2年後の世界選手権では自分がこの位置にいないといけない""東京パラリンピックまでにこの位置にいないといけない"とイメージしていたんです。4年後はメダリストを含め他の選手たちもレベルを上げてくると思いますので、そこを超えるだけの技術とメンタルを身に付けないといけない。それに対し、自分が何をやっていかなければいけないかをリオでは考えていましたね。
伊藤:その中で見えてきたプレーヤーとしての理想像はありますか?
吉田:私の中では"強いプレーヤー"になりたいとは思っていないんです。強さより巧さ。強い者は強い者に負ける。巧い選手は強い選手をも巧くかわすことができますから。それを考えると、ただ強くなるだけではダメだと思うんです。「そんなに強くないのに、いつも負けてしまうな」と言われる選手になりたいですね。
(第5回につづく)
<吉田信一(よしだ・しんいち)>
1965年12月13日、福島県生まれ。車いす卓球クラス3。17歳の時に交通事故で車いす生活となる。28歳で車いす卓球を始めると、国内外の大会で優勝した。2014年インチョンアジアパラではシングルスベスト8に入り、団体では銅メダルを獲得。2016年にはリオデジャネイロパラリンピックに出場した。世界ランキングは23位(2017年3月現在)。情報通信研究機構卓球部/ディスタンス所属。
(構成・杉浦泰介)