二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.05.02
第1回 義足を体の一部に
~日本人初の100メートル10秒台&メダルを目指すスプリンター~(1/4)
リオデジャネイロパラリンピックの男子4×100メートルリレーで銅メダルを獲得した日本。第2走者として貢献したのが佐藤圭太選手である。佐藤選手は2度目のパラリンピック出場で、前回のロンドン大会4位から表彰台に上った。100メートルと200メートルの日本記録を持つ義足のスプリンター。3年後の東京パラリンピックでは個人種目のメダル獲得に闘志を燃やす。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長):今回のゲストはリオデジャネイロパラリンピック男子4×100メートルリレーで銅メダルを獲得しました佐藤圭太選手です。佐藤選手のクラスはT44。これはどのようなクラスでしょうか?
佐藤圭太:僕のT44は膝下の切断で、片足義足の選手もいれば両足の選手もいます。僕は右足が義足です。
二宮清純:パラアスリートや関係者にお話を聞くと、「義足を人間の足に近づけたい」と考える人と「道具としての義足を使いこなしたい」という意見を持つ人がいます。佐藤選手はどちらでしょう?
佐藤:前者です。体の一部になっていくのが理想だと思いますね。普段も特に意識していないので、自分でもたまに忘れちゃいます。"そういえば義足だったんだ"と。
二宮:義足もどんどん進化していっているのでしょうね。
佐藤:確かに進化しています。ただ選手が自分に合った義足をつくるまでには試行錯誤を繰り返してデータを取っていく必要がありますので、その進化についていくことも決して簡単な作業ではないんです。
【世界選手権メダリストとの出会い】
伊藤:今回は陸上トラックと義足開発施設が併設されている「新豊洲Brilliaランニングスタジアム」でお話を聞いています。やはりここの特色はその場で義足を調整できるところでしょうか?
佐藤:そうですね。今までは走って気がついたことがあると後日、技師装具士の方がいるところまで行って調整していただいていました。それを競技場で再び試して、修正したい箇所があればまた持って行くという繰り返しです。ここでは走ってすぐに義肢装具士の方に相談したり調整することが可能になりますので、だいぶ調整にかかる時間は短くなりましたね。
二宮:佐藤選手の経験と科学の力を融合させているわけですね。
佐藤:はい。この施設でも、様々なデータをとっていただいていますが、僕が感覚でしか表せないところを数値化して目に見えるものにしていただいています。
二宮:この施設の館長を務めるのは400メートルハードルで世界選手権2度のメダルを獲得した為末大さんです。為末さんとは元々接点が?
佐藤:初めてお会いしたのは2014年です。為末さんはすでに義足の開発に関わっていて、僕が義足をテストする選手として参加したのがきっかけです。こちらの施設も、東京に来た時にトレーニングで使わせていただいています。
二宮:トップアスリートでもあった為末さんから、同じ陸上競技者としてどんなアドバイスを?
佐藤:それはもうたくさん教えていていだきました。為末さんとは種目も違いますし、私は義足を使っています。それでも勉強になることは多くて、トレーニング方法や走りに関しても健常者の選手とそこまで差はないのかなと感じました。無理に違うものとしてとらえる必要はないということがわかりました。
(第2回につづく)
<佐藤圭太(さとう・けいた)>
1991年7月26日、静岡県生まれ。T44クラス。中学3年でユーイング肉腫を発症し、右膝から下を切断。リハビリ目的で陸上を始めると、メキメキと力をつけた。中京大3年時にロンドンパラリピック出場。4×100メートルリレーで4位入賞を果たした。2016年リオデジャネイロパラリンピックでは同種目で銅メダルを獲得した。100メートル、200メートルの日本記録保持者。身長177センチ、体重68キロ。トヨタ自動車所属。
(構成・杉浦泰介)