二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.08.17
第3回 自らの成長が感じられる競技
~選手と企業、一体となって東京を駆ける~(3/5)
二宮清純: 西選手が陸上競技を始めたのはいつですか?
西勇輝: 正確には覚えていないのですが、おそらく小学5年生の頃だったと思います。僕は先天性の二分脊椎症で、歩行が困難でした。でも小さい頃から体を動かすことが大好きだったので車いす陸上を始めました。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 当初は車いすバスケットボールもやっていたとお聞きしました。
西: そうですね。本当にスポーツが大好きなんです。高校3年生まではバスケットボールと陸上を並行してやっていました。初めての海外遠征を経験したのはバスケットボールです。実は高校生の頃から世界大会でのメダル獲得を意識するようになっていました。でもバスケットボールでは海外のチームになかなか敵わないと感じました。その頃、ちょうど陸上の成績が伸びてきて、気持ちが傾いていき陸上に専念するようになりました。
二宮: 今、考える陸上の魅力とは?
西: 陸上はタイムや記録という結果に自分の成長や弱さが表れます。それが一番の面白さであり、魅力だと思います。
二宮: 西選手は100メートル、200メートル、400メートルと短距離種目を主戦場としています。中距離や長距離よりも短距離の方が向いていたのでしょうか?
西: 僕は陸上の100メートルが花形種目だと思っています。その100メートルでファイナルに残る選手は特別な存在です。僕はオリンピックや世界選手権をよく観ていました。中でも100メートルの金メダリストに対する憧れは強いんです。日本人では100メートルの日本記録保持者である永尾嘉章さんに憧れていました。
二宮: 永尾さんは1988年のソウル大会から6大会連続でパラリンピックに出場し、昨年のリオデジャネイロ大会で7度目の出場を果たした車いす陸上界のレジェンドです。西選手が印象に残っている永尾さんのレースは?
西: 2004年のアテネパラリンピックですね。永尾さんはT54クラスの100メートルでファイナルに進出して7位入賞を果たしました。そして4×400メートルリレーでは銅メダルを獲得。その姿が本当にかっこ良かったんです。
伊藤: 現在は憧れの永尾さんにコーチをお願いしているそうですね。
西: はい。昨年末から指導をしていただいています。先日の世界選手権で200メートルの決勝進出に繋がった「短距離選手も距離を踏むことが大事だ」というアドバイスは永尾さんからいただきました。
伊藤: 3年後の東京パラリンピックでの目標は?
西: 100メートルでのメダル獲得です。大きな夢ではありますが、やはり100メートルにはこだわりがあります。花形種目の100メートル決勝は、世界中の注目が集まるレースです。そこでメダル獲得の夢を実現できれば喜びも格別だと思います。
二宮: 目標達成のための課題は何でしょう?
西: 100メートルで世界と勝負するためにはスタートが重要だと痛感しました。世界選手権ではスタートを得意とするライバル選手が決勝に残りました。今後はあまり力を入れていなかったスタート練習に取り組んでいこうと思っています。
二宮: スタート技術を磨くには、どのようなことを意識する必要がありますか?
西: 世界との最大の差を感じたのはパワーです。その差を埋めるには、重たいものを効率よく動かすためのメカニズムを知り、実践することが大事です。筋力をつけることはもちろんですが、その力を最大限に生かすためには逆に体を絞る必要もあります。これからは科学的な自己管理を徹底していくつもりです。
(第4回につづく)
<西勇輝(にし・ゆうき)>
1994年2月14日、東京都生まれ。先天性の二分脊椎症。車いす陸上のT54クラス。小学5年で、車いす陸上と車いすバスケットボールを始める。しばらくは並行して競技を続けていたが陸上一本に絞った。2013年アジアユースパラゲームズでは日本選手団主将を務め、100メートル、200メートル、400メートルの3種目で金メダルを獲得。2016年アジアオセアニア選手権では、400メートルで優勝した。今年7月の世界選手権に出場し、200メートルでは8位入賞を果たした。好きなスポーツは野球。幼少期からの巨人ファンである。身長158センチ、体重58キロ。野村不動産パートナーズ株式会社所属。
<古郡宏隆(ふるごおり・ひろたか)>
2014年4月より野村不動産パートナーズ株式会社の取締役兼執行役員に就任。人事部、人材開発研修部担当を務め、人材の育成にも携わる。西勇輝選手が2016年4月に入社して以来、社会人として指導している。
(構成・杉浦泰介)