二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.09.28
第4回 ハンドサイクルへの想い
~未知の世界へと漕ぎ続ける挑戦者~(4/4)
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 現在、永野選手はハンドバイク(※)でパラリンピック出場を目指しています。TE-DEマラソンをしていくうちに、その想いが芽生えていったのでしょうか?
永野明: 2011年の末に韓国へ行ってハンドバイクで走ろうと友人と計画を立てていたんです。すると「世界中を走り回りたいのなら、本格的に競技に取り組んで世界を目指すべきなのではないか」という話になりました。それでパラリンピックに挑戦することにしたのです。
二宮清純: ハンドバイクがパラリンピックの正式種目になったのはいつですか?
永野: 2008年の北京からです。ハンドバイクは自転車競技(パラサイクリング)の中のカテゴリーで、ロードのみの3種目(ロードレース、タイムトライアル、チームリレー)があります。
二宮: なるほど。パラサイクリングでは種目によって使用する自転車も異なるんですね。
永野: そうなんです。二輪自転車、三輪自転車、2人乗り用タンデム自転車、ハンドバイクと4種類あります。
二宮: ハンドバイクにおいては元F1レーサーのアレッサンドロ・ザナルディ(イタリア)選手が有名ですよね。ロンドンパラリピックで2つの金メダルと1つの銀メダルを獲得。昨年のリオデジャネイロパラリンピックでも同じ数のメダルを手に入れました。この競技での日本人のパラリンピアンはいるのでしょうか?
永野: パラサイクリングにおいては日本人メダリストもいます。しかし、ハンドバイクでは、まだ一度もパラリンピックに出たことがありません。選手のレベルも世界と比べればまだまだなんです。
伊藤: 日本の場合、車いす陸上が競技人口も多い。それに対してハンドバイクの選手は少ないですよね。
永野: そうですね。まずはハンドバイクで出られるレースが国内で圧倒的に少ないことが理由にあると思います。競技人口も少ないとレースは増えにくい。現時点ではなかなか経験が積みづらい状況だと言えます。
二宮: 永野選手はこれまでに国際大会の出場は?
永野: まだ出たことがないです。そこで自分が世界でどのくらいのレベルにいるのか確かめたいですね。
【国内に300~400台】
二宮: 東京パラリンピックに向けた計画はもう立てられているのでしょうか?
永野: 日本代表選考基準がまだ発表されていないので、まずは地道にレースで実績を積んでいくしかありません。栃木県のツインリンクもてぎで開催される「もてぎエンデューロ」にコンスタントに出るつもりです。そこで何かアピールできる実績を残したいです。
二宮: 国内のレースが少ない。では、ハンドバイクの普及率はどのくらいなのでしょう?
永野: 僕が知っている数字では国内のハンドバイクの数は300~400台だそうです。まずは値段が高い。僕の使用しているものは7、80万円しますから。それに車いすは助成対象ですが、ハンドバイクはレジャー扱いになるので助成金は出ません。車いすは足の代わりですが、ハンドバイクは自転車と同じものと考えられています。
二宮: それでは、ちょっとした車を買うような感覚ですよね。300~400台ではオリンピック・パラリンピックの競技ではなくなってしまう可能性も出てきてしまいますね。
永野: せめて普通の自転車ぐらいの値段で買えるようになれば、今以上に普及すると思います。ハンドバイクは比較的重いものも積めますし、サイクリングとしてだけではなく通勤や買い物など日常の様々な用途でも使えます。気軽に自転車感覚で乗れますので、幅広く有効活用できると思います。
伊藤: 永野選手も普及活動は積極的に行われていますよね。
永野: そうですね。自治体や企業が開催するイベント、講演会やトークショーに参加しています。子どもたちとハンドバイクを試乗することもあります。ハンドバイクは競技用の車高が低いスポーツタイプと、車いすに前輪を装着させるアダプタータイプがあります。アダプタータイプはどんな車いすにも付けられるので、高齢者を含め様々な方が使える乗り物としても非常にオススメです。まだまだハンドバイクについても知られていないことはたくさんあるので、今後も普及活動にも力を入れていきたいと考えています。
※手漕ぎ自転車。乗り物としてはハンドバイクとの呼称が多いが、ハンドサイクルともいう。そのため永野選手はプロハンドサイクリストと呼ばれている。
(おわり)
<永野明(ながの・あきら)>
1975年6月26日、福岡県生まれ。19歳で上京。1997年、「無敵のハンディキャップ」(北島行徳)を読んだことがきっかけで障がい者プロレス団体「ドッグレックス」に入団した。2000年には地元福岡で障がい者プロレス団体「FORCE」を設立。代表兼レスラーとして活躍する。2005年にハンドバイクで100キロ走る人を見て、自らもチャレンジを決意。3年間のトレーニングを経て、2008年に東京-福岡間の1200キロを走破した。プロハンドサイクリストとして活動し、現在はハンドサイクルで東京パラリンピックを目指している。学校法人国際学園所属。
(構成・杉浦泰介)