二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.09.14
第2回 夢中になったTE-DEマラソン
~未知の世界へと漕ぎ続ける挑戦者~(2/4)
二宮清純: 2008年10月に東京-福岡間を走られた後も、TE-DEマラソンで九州一周(※1)や日本縦横断(※2)などに挑戦されています。ハンドサイクルに夢中になった理由は?
永野明: TE-DEマラソンでは日常生活では得ることができない経験をたくさん味わえる。そこに憑りつかれた部分はありますね。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 初挑戦となった東京-福岡間とは、変わったところはありますか?
永野: 九州一周12日間のうちの2日目から5日目までを単独で走りました。その時に単独で走るつらさも楽しさも知りました。仲間がいれば心強い面もありますが、気を遣う場面も出てきますから。走っていて心に余裕が出てくると、"食事はどうしようか。ご当地のものを食べさせてあげたいな"と思ったりもします。僕は九州一周で単独走を経験したことで、周りのことを何も考えなくていい1人旅を知ってしまった。やはり気楽ですし、自分のペースを貫けることも大きいです。その時には次のチャレンジは"1人で行こう"と決めていました。
伊藤: 単独走は危険が伴う気もしますが?
永野: 僕の場合は何も考えていないだけです(笑)。
伊藤: 1人では荷物も預けられませんし、手荷物が多くなってしまうのでは?
永野: 持っていくのはリュックが1つとセカンドバッグが1つです。セカンドバックには薬や貴重品を入れていました。着替えはジャージ2組と下着3枚、靴下3足ぐらいしか持って行きません。毎日洗濯していましたね。宿泊施設も先々で決めてあるので、必要なものは送っておいて、受け取るようにしていました。
【34日間で全国縦断】
二宮: 宿泊施設で困ったことはありましたか?
永野: 僕自身はあまり気にせず普通に生活できるので大丈夫でした。九州一周の後にチャレンジした日本縦横断ではすっかり旅慣れしていましたね(笑)。
二宮: 体が慣れてくるものなんでしょうか?
永野: 日本縦断にチャレンジした当時はサラリーマンでした。普段は朝8時に家を出て、9時に出勤する生活リズムです。それが朝4時に起きて6時にスタートする生活に変わるわけですから、慣れるまでは数日を要しました。
二宮: なるほど。リズムに慣れてくれば、おのずとゴールも見えてくる?
永野: そうですね。あとはその繰り返しですから。
伊藤: 北海道の宗谷岬から鹿児島県の佐多岬までの日本縦断は3500キロです。これは何日間で走破されたのでしょう?
永野: 9月から10月にかけての34日間です。
二宮: それだけ長い期間走っていれば、腰など体にも痛みが出てくるでしょう?
永野: ハンドバイクに座りっぱなしのこともあるので、お尻のところに床ずれができたりもします。筋肉痛や関節痛もあって、熱が出ることもありましたが、鎮痛薬を飲んで我慢していました。もちろん長い時間、1人で走る大変さはありますが、それだけ達成感も大きい。もう病みつきになりますね。
※1 2010年4月24日、長崎駅前をスタートし、博多駅までの約1000キロを12日間で走破した。
※2 2011年9月24日、日本最北端の北海道・宗谷岬をスタートし、本土最南端の鹿児島・佐多岬までの約3500キロを34日間で走破した。
(第3回につづく)
<永野明(ながの・あきら)>
1975年6月26日、福岡県生まれ。19歳で上京。1997年、「無敵のハンディキャップ」(北島行徳)を読んだことがきっかけで障がい者プロレス団体「ドッグレックス」に入団した。2000年には地元福岡で障がい者プロレス団体「FORCE」を設立。代表兼レスラーとして活躍する。2005年にハンドバイクで100キロ走る人を見て、自らもチャレンジを決意。3年間のトレーニングを経て、2008年に東京-福岡間の1200キロを走破した。プロハンドサイクリストとして活動し、現在はハンドサイクルで東京パラリンピックを目指している。学校法人国際学園所属。
(構成・杉浦泰介)