二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.09.21
第3回 スポットライトの快感
~未知の世界へと漕ぎ続ける挑戦者~(3/4)
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): プロレス、ハンドバイク(※)と永野選手はいろいろなことに挑戦されていますが、元々スポーツは何かされていたんですか?
永野明: いえ。全く興味がなくて、学生時代は体育の授業をどうサボるかを考えていましたよ(笑)。
二宮清純: アハハハ。障がい者プロレスとの出合いは?
永野: 小学生の頃からアントニオ猪木さんや馳浩さんをテレビで見ていましたので、プロレスを見るのは好きでした。そんな僕が障がい者プロレスを始めたのはサラリーマン時代に本屋へ寄った時に北島行徳さんの書いた「無敵のハンディキャップ」を読んだことがきっかけですね。
二宮: その本がきっかけでプロレスラーに?
永野: いえ、僕はレスラーになれる人は特別な人で、それは自分じゃないと思っていましたから。その本には毎週土曜日に世田谷のボランティアセンターで集まって会議していると書いてありました。だから、読んだ翌週に僕は「手伝えることがあれば手伝いたいです」とお願いしに行きました。
二宮: 最初から"レスラーになりたい"と思っていたわけではないんですね。
永野: はい。その時に著者であり、障がい者プロレス団体「ドッグレッグス」代表の北島さんから「君がレスラーになることが一番のお手伝いだよ」と言われたんです。僕はそんなこと夢にも思っていなかったので驚きましたが、"あぁオレでもレスラーになれるんだ"と思えたんです。当初の思惑とは違ったものになりましたが、もうレスラーになって20年が経ちました。
二宮: 思いがけずプロレスラーになれたわけですが、その魅力は?
永野: シングルマッチだとリングに自分と対戦相手しかおらず、スポットライトを浴びられるのが魅力です。入場の際にはリングネームがコールされますし、普通ではなかなか体験できないことだと思うんです。
【泥臭いスタイル】
二宮: レスラーとしてリングに上がるうえで心がけていることはありますか?
永野: 障がい者がやっているプロレスではなくて、プロレスをやっている障がい者というところを見せなくてはいけません。勝ち負けも大事なことですが、僕はいかに自分のファンになってもらえるかを大事にしています。
二宮: 現在は「FORCE」という障がい者プロレス団体の代表を務めています。団体を立ち上げた理由は?
永野: 僕は「ドッグレッグス」に入団していたので、東京で試合をしていました。ところが地元の福岡に帰った時に「プロレス始めたんだよ」と同級生に話してもうまくイメージしてもらえないんです。そこで地元の友達に見せるため、2000年に福岡で「FORCE」を設立しました。今では県外でも興行を開催しています。
伊藤: 20年も戦ってきた障がい者プロレス。永野さんがどういうものかと説明するならば?
永野: それは難しい質問ですね。通常のプロレスのように飛んだり跳ねたりはできず、総合格闘技のような寝技中心の殴り合いに近いですね。見た目は結構泥臭いかもしれません。でも自分が特別な存在になれる素晴らしいスポーツだと思います。
※手漕ぎ自転車。乗り物としてはハンドバイクとの呼称が多いが、ハンドサイクルともいう。そのため永野選手はプロハンドサイクリストと呼ばれている。
(第4回につづく)
<永野明(ながの・あきら)>
1975年6月26日、福岡県生まれ。19歳で上京。1997年、「無敵のハンディキャップ」(北島行徳)を読んだことがきっかけで障がい者プロレス団体「ドッグレックス」に入団した。2000年には地元福岡で障がい者プロレス団体「FORCE」を設立。代表兼レスラーとして活躍する。2005年にハンドバイクで100キロ走る人を見て、自らもチャレンジを決意。3年間のトレーニングを経て、2008年に東京-福岡間の1200キロを走破した。プロハンドサイクリストとして活動し、現在はハンドサイクルで東京パラリンピックを目指している。学校法人国際学園所属。
(構成・杉浦泰介)