二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.10.19
第3回 パラアスリートと企業の橋渡し役
~"自他共栄"でつくる共生社会へ~(3/4)
二宮清純: 2011年に起業し、ユニバーサルスタイルを設立しましたが、きっかけは何だったのでしょう?
初瀬勇輔: 東日本大震災の影響です。震災の後に感じた喪失感は、僕の目が見えなくなった時に味わった感情と似ていました。それは"明日、何が起こるかわからない"というものです。"だったら、やりたいことがあるならチャレンジしよう"と思い、当時付き合っていた現在の妻からも背中を押されて決意しました。
二宮: サラリーマン時代に学んだノウハウが起業した際に生きたのでしょうか?
初瀬: そうですね。僕が働いていた会社は社員の200人中180人が障害のある方でした。そこで様々な障害のある方の働き方を見て、学ぶことができたのは大きいと思います。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 独立したことは大きいですか?
初瀬: はい。独立したことで、それまでと比べて自分の時間をコントロールできるようになり、いろいろな繋がりをつくることができてきました。僕は社会と繋がりを持つことが大事だと思うんです。日本視覚障害者柔道連盟、パラリンピアンズ協会、全日本テコンドー協会の理事をやれるのも、独立したことが大きい。そのおかげでスポーツ界全体に貢献できる立場になれたので、起業したという選択は間違っていなかったと感じています。
【自らのパラリンピックを阻止する結果に!?】
二宮: 実際に会社ではどんな事業を?
初瀬: 僕の会社は障害者の人材紹介事業ですので、パラリンピックを目指している選手と企業のマッチングもやっているんです。
伊藤: パラスポーツ界における貢献度も、とても大きいです。
初瀬: 僕はリオデジャネイロ五輪の日本代表選考会で男子90キロ級の廣瀬悠選手に負けているのですが、彼は僕の会社を通して就職したんです。就職して彼の競技環境が整ったら、負けてしまった(笑)。
二宮: アハハハ。でもそれは全体を見ればいいことじゃないですか。成果が出ているということですからね。
初瀬: ちょっと複雑ですね(笑)。奥さんの順子選手は女子57キロ級で銅メダルを獲得し、日本女子柔道初のメダルですから、そこに繋がったと思うといいことなんですが......。
伊藤: パラリンピックを目指す人たちが、競技環境を整えることや引退後のキャリアも考えた時、相談できる人がいるのは素晴らしいことです。
初瀬: 正直、何とかならない時もあります(笑)。でも、やっぱり選手たちも相談に来やすいと思うんです。僕はまだ現役選手なので、気持ちも理解できる。他の競技団体とも関わりがありますから、柔道以外の競技の話もできます。
【柔道の力で社会貢献】
二宮: 企業、選手側双方の気持ちがわかりますもんね。
初瀬: 今は健常者と障害者の橋渡し役となることや、両者の間にある壁を壊すのが仕事かなと思っています。もし僕に目が悪くなった意味があるとするならば、そこなのかなと。
二宮: ご自身の経験で、壁を感じられたこともあったと?
初瀬: はい。実は僕、就職活動をした時に100社以上も落ちているんです。しかも面接すらしてくれない企業がほとんどでした。障害者雇用の枠内で受けているにもかかわらずです。今考えてみると、エントリーシートの書き方もあったのでしょうが、他の障害のある方と比べて視覚障害者は採用しにくいのかもしれません。未だにそれは言われていますから。
伊藤: その点も起業した理由のひとつですか?
初瀬: そうですね。そういう原体験があったものですから、"障害者の仕事をつくる仕事をしたい"と思うようになっていたんです。極端に言えば、"僕の仕事は僕自身がつくるしかない"と考えていました。その時の思いも起業に繋がったのだと感じます。
二宮: 柔道の創始者である嘉納治五郎さんは「精力善用」「自他共栄」という言葉を遺されています。その精神は共生社会に繋がるものがありますか?
初瀬: ええ。柔道をやっている人は「精力善用」と「自他共栄」の思いがあるので、本当に温かい人が多いですね。柔道家は皆、懐が深い。目の悪い僕が道場に行っても嫌がる人はいないんです。共生社会をつくる上で、柔道で修業した力を使って社会に貢献していきたいです。
(第4回につづく)
<初瀬勇輔(はつせ・ゆうすけ)>
1980年11月28日、長崎県生まれ。法律家を目指していたが、中央大学在学中に緑内障により視覚障害を持つ。2005年、中学・高校で柔道に打ち込んでいたこともあり、視覚障害者柔道を始める。その年の全日本視覚障害者柔道大会男子90キロ級で優勝。同級で2008年北京パラリンピック出場を果たす。2010年には広州アジアパラ競技大会で金メダルを獲得した。2011年に独立、株式会社ユニバーサルスタイルを設立した。現役を続けながら、日本パラリンピアンズ協会、日本視覚障害者柔道連盟、全日本パラテコンドー協会の理事も務める。株式会社ユニバーサルスタイル代表取締役。
(構成・杉浦泰介)