二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.10.12
第2回 畳が輝いていた北京パラリンピック
~"自他共栄"でつくる共生社会へ~(2/4)
二宮清純: 再び柔道に打ち込む決意をしたのは、得意なスポーツだったからでしょうか?
初瀬勇輔: そうですね。中学・高校の部活動で経験していて、それなりに自信があったことが大きかったと思います。ゼロからのスタートだったら、始めることはなかったかと。それで、2005年8月に日本視覚障害者柔道連盟へ電話で問い合わせました。その時に「それだけの経験があるのなら11月の大会に出てください」と言われたんです。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 試合に向けたトレーニングはどこで積まれたんでしょうか?
初瀬: 約7年ぶりとはいえ、やるからには負けたくなかったので、まずは練習のできる道場を探しました。埼玉の牛窪道場には2004年アテネパラリンピックで銀メダルを獲った加藤裕司さんがいらっしゃいました。指導している牛窪多喜男先生も1988年ソウル大会から3大会連続でメダルを獲得している柔道家でした。
二宮: 久々の畳の感覚はどうでしたか?
初瀬: それが、とても楽しかったんです。その時に体が思ったより動いたので"これならできる"と自信がつきました。畳は平面で、段差もないので躓かない。視覚障害者柔道は組んでから試合をはじめます。視力に関係なく、皆同じ状態からスタートするので、そのやり方には衝撃を受けました。
二宮: 畳の上では皆、平等ですよね。
初瀬: ええ。その平等性が良かった。それまでは至るところで、「すみません。目が悪いのでお願いできますか」と頼みごとをしたり、人に謝ることが多かったんです。それだけに人とフラットに接することができたのが、すごく心地良かった。
二宮: 練習は主に道場で?
初瀬: はい。11月の大会までの練習は中学・高校の時に同じ柔道部だった友人にも付き合ってもらいました。そういった皆の協力もあって、初めて出場した全日本視覚障害者柔道大会の男子90キロ級で優勝することができました。
【転機となったデビュー戦での優勝】
二宮: 初出場となった大会での優勝は大きな自信になったのでは?
初瀬: これは転機になりました。この大会は国際大会の選考会を兼ねていたので、日本代表に内定しました。第20回記念大会ということもあり、会場には皇太子さまがいらっしゃっていました。大会の優勝者は皇太子さまとお話をする機会をいただけたのです。それまではただの学生だったのに、急に人生が動き出したような感じでした。
二宮: 我々には一生かかっても得られない経験ですね。
初瀬: これらの経験は僕にとって、とても大きかったですね。"自分もスポーツを楽しんでいいんだ"と居場所を確認できたような気持ちになりましたね。その他にも柔道を再び始めたことで自分と同じ視覚に障害のある人と出会うこともできました。視覚障がいのある仲間ができたことは、勝ったことよりも代表になったことよりも大きかったかもしれません。
二宮: 柔道を通じて、自分の世界が広がっていったと。
初瀬: 強化合宿にも呼ぼれるようになり、その先の予定も入ってきて、僕の人生はガラリと変わりました。合宿ではアトランタ大会からパラリンピックを3連覇した藤本聡さんと同部屋になりました。藤本さんをはじめ、いろいろな先輩方と出会うことができたのも僕の財産ですね。
伊藤: その後の人生を大きく変える出会いだったのですね。
初瀬: ええ。先輩たちの話を聞いて、自分も働こうと就職活動を始めるようにもなりました。試験にはたくさん落ちましたが、最終的には人材派遣会社のテンプスタッフ株式会社の特例子会社に就職することができました。初めてパラリンピックに出場した北京大会では、社長もすごく理解してくださり、会社全体で応援してくれました。当時は会社から支援を受けているパラアスリートはほとんどおらず、僕はとても恵まれていました。
二宮: お話にあった北京大会は、28歳で初めて経験したパラリンピックです。大舞台を経験してみて、いかがでしたか?
初瀬: すごかったとしか言いようがないです。"これがパラリンピックか"と感動しました。選手村にも興奮しましたね(笑)。オリンピックと一緒の場所でやれるということが、すごく誇りに思えましたし、日本代表としての自覚を強く持った大会でした。今と比べるとメディアの注目度は「月とすっぽん」ですが、それでも取材を何本か受けました。日本代表はどうあるべきかと考えるようになりましたね。
二宮: 試合を振り返ってどうでしょう?
初瀬: 指導の差で1回戦負けでしたが、これまでで一番楽しい試合でしたね。畳が輝いているような感覚でした。調子が良かったのに負けたことはすごく悔しかったのですが、"ずっと試合をしていたい"と思えたほどです。負けたのにそんな気持ちになったのは初めてでした。開会式の時も拍手が空から降ってくるように感じられて、"パラリンピックってすごい""日本代表ってすごい"と思いました。
(第3回につづく)
<初瀬勇輔(はつせ・ゆうすけ)>
1980年11月28日、長崎県生まれ。法律家を目指していたが、中央大学在学中に緑内障により視覚障害を持つ。2005年、中学・高校で柔道に打ち込んでいたこともあり、視覚障害者柔道を始める。その年の全日本視覚障害者柔道大会男子90キロ級で優勝。同級で2008年北京パラリンピック出場を果たす。2010年には広州アジアパラ競技大会で金メダルを獲得した。2011年に独立、株式会社ユニバーサルスタイルを設立した。現役を続けながら、日本パラリンピアンズ協会、日本視覚障害者柔道連盟、全日本パラテコンドー協会の理事も務める。株式会社ユニバーサルスタイル代表取締役。
(構成・杉浦泰介)