二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.11.16
第3回 レベルアップする世界
~未来へ経験を引き継ぐパラスイマー~(3/5)
二宮清純: 初出場のアテネパラリンピックから2大会連続出場となった2008年北京パラリンピックはいかがでしたか?
江島大佑: 北京パラリンピックでは中国がかなり強くなってきていました。世界レベルも上がっていった。僕が100メートル背泳ぎ決勝で記録した1分16秒42はアテネパラリンピックでは金メダルに相当するタイムなんです。4年前と比べても3秒以上記録を伸ばしましたが、結果は同じ5位でした。
二宮: 江島選手の成長以上に世界も伸びていたと。
江島: それをレースで実感しました。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 2008年からパラリンピックもオリンピックと同じ超エリートスポーツという世界に突入したと言われました。
江島: そうですね。次のロンドンパラリンピックも出場することができましたが、100メートル背泳ぎでは記録をさらに1秒上げたのですが、決勝に残ることすらできませんでした。50メートルバタフライで5位に入ったものの、入賞は1種目だけです。
二宮: それでも3大会続けてパラリンピックに出場し、メダルも獲得しています。
江島: いえ。シドニーパラリンピックを見て、僕が目指したのは「金メダル」でした。アテネパラリンピックで銀メダルを獲得しそれはもちろん嬉しかったですが、金メダルはまだです。獲得したメダルもリレーで手にしたもの。自分だけの力ではありません。やはり個人で金メダルを目標にしていますので、それを達成するまでは満足できないんです。
二宮: 4大会連続出場のかかるリオデジャネイロパラリピックは出られなかったんですよね。
江島: はい。代表に内定はしていたのですが、体調不良で辞退することになってしまったんです......。
二宮: お話しできる範囲で結構ですが、どのような状況だったのでしょうか?
江島: リオデジャネイロパラリピックの日本代表に決まってから、追い込みの練習をしている際にプールサイドで倒れてしまったんです。
伊藤: それは何月頃ですか?
江島: 3月に選考会があって、内定してからです。5月のゴールデンウィーク明けぐらいの時期でした。
二宮: ドクターストップがかかった?
江島: そうですね。何回か検査をしたのですが、原因がわかりませんでした。それで医師からは「やめておいた方がいい」と言われました。
二宮: 追い込んでいる最中に無理がたたったということですかね。
江島: 肉体的にも精神的にも追い込んでいたので、そこに原因があったのかなと思っています。バランスが大切だということを改めて痛感しています。今はだいぶ調子も上がってきています。今年の世界選手権代表には選ばれませんでしたが、これから巻き返していきたいと考えています。
(第4回につづく)
<江島大佑(えじま・だいすけ)プロフィール>
1986年1月13日、京都府生まれ。S7クラス。3歳から水泳を始める。12歳のときに脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残った。2000年シドニーパラリンピックをテレビで見て再び水泳をスタートする。立命館大学に進学後、2004年アテネパラリンピックに出場。初出場ながら4×50メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得した。2006年にはワールドカップ50メートル背泳ぎで世界記録を樹立。2008年北京パラリンピックでは100メートル背泳ぎで5位入賞、50メートルバタフライでは4位入賞を果たした。2012年ロンドンパラリンピックは50メートルバタフライで5位入賞。若手育成・強化のための合同合宿「エジパラ」を開催し、後進の育成にも力を入れている。株式会社シグマクシス所属。
(構成・杉浦泰介)