二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.11.22
第4回 "エジパラ"で伝えたいこと
~未来へ経験を引き継ぐパラスイマー~(4/5)
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 江島選手は若手選手との合同合宿"エジパラ"を開催しています。開催のきっかけは?
江島大佑: 今までは選手が集まっての合宿は日本身体障がい者水泳連盟主催のものしかなかったんです。それも強化指定選手と育成選手という2つのカテゴリーの交流がなかった。強化指定選手と育成選手は試合で挨拶する程度。それはとてももったいないことだと思って、"エジパラ"の開催を決めました。"エジパラ"とは僕の名字とパラリンピックをかけた造語です。
二宮清純: 第1回は今年の2月に開催されたそうですね。
江島: はい。まずは仲間内で育成選手、女子選手、コーチ、トレーナーなどに声を掛けました。そこで趣旨を理解してくれた有志たちとスタートしました。
伊藤: 第1回の開催を受けて、反応はどうでしたか?
江島: 参加した育成選手には今までにない刺激だったようで、「良い経験になりました」と好評でした。来年2月に第2回を予定しています。第1回が終わった後にも関係者から「どんどんやってよ」と言っていただき、「"エジパラ"に参加したい」との声をもらっています。本当にやって良かったと思っています。
二宮: いろいろな選手やコーチなどと交流することで、情報交換もできますよね。
江島: そうですね。今までは、せっかくパラリンピックを経験した選手がいるのに芽が出そうな有望な選手たちと接する機会がなかった。パラリンピックに出場した僕らの先輩も競技を辞めて、サラリーマンになっている方もいる。後進の指導をしていれば、その経験を伝えることができたはず。それはすごくもったいないと感じていました。
二宮: 知見や経験を後輩たちに伝えることが"エジパラ"を通して拡大していくといいですね。
江島: はい。育成選手は経験が浅いですし、パラリンピックがどんなものかを知らない。僕は世界のレベルを体感している立場としては、若手に"ここまでしないといけない"と示すことはできる。例えば自分の泳ぎを見せるだけでも、その意味はあるのかなと思っています。
伊藤: どうして、そのような思いに至ったのでしょうか?
江島: 昔の僕だったら周りのことは気にせず、自分のことだけを考えていたかもしれません。リオデジャネイロパラリンピック出場を断念したこともひとつ理由にあると思います。年齢も年齢ですから、3年後の東京パラリンピックがおそらく最後の大舞台になる。だから最後に将来に向けて何かを残したいんです。
二宮: それもひとつのレガシーですよね。これからのパラ水泳に繋がっていけばいいですね。
江島: はい。その気持ちはとても強いです。パラリンピック3大会連続出場など僕が経験してきたことの意味はそこにあると思っています。今、僕は日本パラ水泳界の中でも競技歴が長い方ですし、知っている人も増えました。コーチにも「"エジパラ"をやるから来てください」と声を掛けやすいと思います。そういう意味でも人を集めやすい年齢、ポジションにいる。だからこそ、僕が"エジパラ"をやるべきだと思っています。
(第5回につづく)
<江島大佑(えじま・だいすけ)プロフィール>
1986年1月13日、京都府生まれ。S7クラス。3歳から水泳を始める。12歳のときに脳梗塞で倒れ、左半身に麻痺が残った。2000年シドニーパラリンピックをテレビで見て再び水泳をスタートする。立命館大学に進学後、2004年アテネパラリンピックに出場。初出場ながら4×50メートルメドレーリレーで銀メダルを獲得した。2006年にはワールドカップ50メートル背泳ぎで世界記録を樹立。2008年北京パラリンピックでは100メートル背泳ぎで5位入賞、50メートルバタフライでは4位入賞を果たした。2012年ロンドンパラリンピックは50メートルバタフライで5位入賞。若手育成・強化のための合同合宿「エジパラ」を開催し、後進の育成にも力を入れている。株式会社シグマクシス所属。
(構成・杉浦泰介)