二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2017.12.08
第1回 選手から日本選手団の顔へ
~1998長野から繋がる2020東京へのバトン~(1/4)
開催まで3カ月と迫った平昌パラリンピック。日本選手団団長を務めるのが大日方邦子氏だ。現役時代は日本のチェアスキーの第一人者として活躍した。パラリンピックはリレハンメルから5大会連続で出場。長野では日本人で初めて金メダルを獲得した。5度のパラリンピックでは金2、銀3、銅5、計10個のメダルを手にした。現在は日本パラリンピアンズ協会副会長や日本障がい者スポーツ協会理事など要職にある大日方氏に、パラリンピックへの想いを訊いた。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 今回のゲスト、大日方邦子さんは2011年1月以来、約6年ぶりの登場になります。当時は第一線から退いたばかりでした。引退してから様々な活動をされてきましたが、現役時代との違いをどんなところに感じましたか?
大日方邦子: 引退後の活動も私の中では選手時代とやることは繋がっていると思いましたが、だんだん選手とは違う役割や難しさがあるんだなと感じていますね。アスリートは自分に結果がすべて返ってくる。努力した分が実を結ぶとは限らないですが、結果の責任を負うのは自分ですよね。支える側に回ると失敗は他人=選手の足を引っ張ることになる。そういう点では現役の頃の方が気楽さはあるかなと思います(笑)。
二宮清純: 選手はまず自分のパフォーマンスだけど、サポートする側に回ると全体に目配せしなければいけません。
大日方: はい。全体を見てうまく皆の力を引き出すことが重要です。選手たちが持っている力を最大限発揮できるように、どういう言葉をかけるべきか、どういう状況を用意したらいいのかを考えなければなりません。
二宮: 今度はサポート役として、選手にどうやって良い結果を出してもらうか。そういう下支えをしなければいけません。
大日方: そうですね。自分が選手だった頃かけられたらうれしい言葉でも、他の選手にとっては全然ピンとこないこともありますから。それぞれに応じたアドバイスや声かけが必要になってくるでしょう。
【団長としての役割】
伊藤: 前回のソチパラリンピックは国外の冬季パラリンピックでは最多タイとなる3個の金メダルを獲得するなど最高の結果を出しました。
大日方: 当時、現地にはJPC(日本パラリンピック委員会)の運営委員として視察に行きました。各会場や選手村も視察し、アスリートと離れた立場で見ることができ、とても勉強になりました。これまでの5大会は違った視点でパラリンピックを見ることができた経験は大きいと思います。
二宮: 今年6月に平昌パラリンピック日本選手団団長に任命されました。過去のメダリストがパラリンピック選手団団長を務めるのは初めてのケースです。団長としての仕事はたくさんあると思いますが、一番重要なのは?
大日方: 難しい質問ですね(笑)。実は私も初めて打診された時に「何をすればいいんですか?」と聞いたぐらいです。
二宮: その時の返事は?
大日方: 「日本選手団の顔としてやっていただきたい。選手たちをまとめていってほしい」ということでした。私としては、まずすべての競技に足を運びたいです。また、NPC(各国の国内パラリンピック委員会)との情報共有、組織委員会の会議、そして毎日行われる団長会議に参加します。
二宮: いろいろな関係機関と交渉や調整も行わなければならないわけですね。
大日方: はい。起こってほしくはないですが、予測できないこともあるでしょう。日本選手団を代表する立場でしっかり対応していかねばなりません。さらには裏方としても駆け回る仕事もあります(笑)。ここは経験豊富な選手団事務局の方たちを信頼して、協力していきたいと思います。それもこれも含め、この任を重く受け止め、日本選手団をうまくリードしていければと考えています。いずれにしても、あらゆる準備をして、本番を迎えなければなりません。今は選手の時の緊張感と違った、覚悟のような感覚を持っているところです。
(第2回につづく)
<大日方邦子(おびなた・くにこ)>
1972年4月16日、東京都生まれ。3歳の時に交通事故で右足を切断、左足にも後遺症が残る。高校2年の時にチェアスキーと出合い、1994年リレハンメルパラリンピックに出場。1998年の長野大会では滑降で日本人初の金メダルに輝いた。2010年のバンクーバーまで5大会連続で出場し、計10個のメダルを獲得した。1996年にNHKに入局。2007年6月からは電通PRに勤務。2010年9月に代表チームからの引退を表明後は、後進の指導に当たる。日本パラリンピアンズ協会の副会長、日本障害者スキー連盟常任理事(アルペンGM)などを務め、競技普及に携わっている。2013年には2020年東京オリンピック・パラリンピックの招致活動にも関わった。今年6月に平昌パラリンピック日本選手団団長、11月には日本障がい者スポーツ協会理事に就任した。
(構成・杉浦泰介)