二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2018.06.07
前編 渋谷パラ草の会とは
~草の根で広げるパラスポーツの輪~(前編)
2年後に東京で開催されるパラリンピック。今年5月、パラスポーツを応援する草の根運動の会(渋谷)の設立発起人会が行われた。本格的にその活動をスタートさせた渋谷パラ草の会は、東京パラリンピックを盛り上げるだけでなく、地域社会への貢献を通じて、共生社会の実現を目指している。同会の代表世話人を務める株式会社寿商会の髙橋千善社長に、渋谷パラ草の会設立の趣旨や今後の展望について訊いた。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 今年5月に行われた「渋谷パラ草の会」設立発起人会には私も参加させていただきましたが、たくさんの人が集まっていましたね。会の設立のきっかけは?
髙橋千善: 元々私の家は、渋谷で商売をして、私で3代目になります。戦前は劇場、戦後は料亭を、そして今も料亭、それにともなう賃貸業を経営しています。私自身ももちろん渋谷生まれ渋谷育ち。ここ渋谷区ではパラリンピックの会場がいくつかあります。何かしなきゃ、って。やっぱり考えますよね。
伊藤:それで、渋谷を拠点に活動を始めようとなさったのですね。
髙橋: 2020年東京オリンピック・パラリンピックについて、"オリンピックは動員をかけなくても観客が満員になるかもしれないが、パラリンピックはあまり観客が入らないのではないか"とメディアなどで報じられていますよね。私は東京都障害者スポーツ大会に関わった縁もあり、パラスポーツに関心があった。"どうしたら地元渋谷のパラリンピック会場を満員にできるだろう"と考えたんです。そこで以前から内々で集まっている会合のメンバーに「皆でパラリンピックを応援しないか」と呼びかけたことが、最初のきっかけです。
二宮清純: 会合のメンバーはどのくらいいらっしゃったのでしょうか?
髙橋: 40人ほどいましたが、思うように賛同者を増やせなかった。例えば1人が10人の仲間を連れてくれば、400人になる。その400人が10人、4000人が10人と増える。最初は単純な計算でそう見積もっていたのですが、全然人が集まりませんでした。
二宮: 順風満帆にはいかなかったと。
髙橋: はい。入会の案内も作り、簡単に会員に登録できるようにしましたが、なかなかうまくはいきませんでした。入会金も会費も無く、会に賛同できる人は誰でも入れるようにしたのですが......。
二宮: 垣根を低くしたものの、登録者は増えなかったわけですね。
髙橋: それで、実は辞めようと思ったんです。皆さん私の話を聞いてはくれるものの、実際に会員になってくれる人は少ない。そこで私が以前勤めていた会社の後輩に「会を辞めようと思っている」と相談したんです。
二宮: そこで踏みとどまったのはなぜですか?
髙橋: 相談相手の彼はその会社でオリンピック・パラリンピック担当をしていたんです。相談している途中、冗談半分で「だったら手伝ってくれないか?」と頼んでみたら、彼は「手伝いますよ」と言ってくれた。辞めるはずが、かえって勢いづいてしまいましたね(笑)。
二宮: むしろ辞めるわけにはいかなくなったと。
髙橋: そうなんです(笑)。だから彼に「これからどうすればいいのか?」とアドバイスをもらいました。私は最初、「パラスポーツを観客として応援に行こう」「競技会場を満員にしよう」ということしか考えていなかった。ところが彼に言わせると、それだけではダメなんだそうです。彼からは「それに加えてハードとソフト両面でバリアフリー化を進めなければいけません」と言われました。だからハードの面はバリアフリーマップ作成に協力する。ソフトの面では渋谷を訪れる障がいのある人たちに、我々がどう接するべきか学ぼうと考えました。
【"ケガの功名"だった名称変更】
伊藤: 「パラスポーツを応援する草の根運動の会」と名付けた理由はあるのでしょうか?
髙橋: 当初は"パラリンピックを成功させよう"という思いから「パラリンピックを成功させる勝手連」との名称で始めました。そのうちに勝手連ではなく、草の根運動の会に変えました。ところが、「パラリンピック」という名称は使ってはいけないということが分かったんです。それで現在のパラスポーツ草の根運動の会に変えました。
二宮: いわゆるアンブッシュ・マーケティング。IOC(国際オリンピック委員会)、IPC(国際パラリンピック委員会)等の知的財産権保護のためのルールですが、今回のようなケースでもダメなんですね。
髙橋: ええ。だけど、今ではパラスポーツの方が良かったなと思っています。パラスポーツは、いろいろな競技がありますから活動の幅を広げやすい。
二宮: 確かにパラリンピックという名称だと、大会に採用されている競技だけのイメージが強いですからね。
髙橋: パラリンピックからパラスポーツへ名称を変えたことによって、2020年東京大会だけでは終われなくなった感じもします(笑)。大会が終わってもパラスポーツは続いていくわけですから、その先も頑張っていきたいです。これは"ケガの功名"と言えるかもしれませんね。
(後編につづく)
<髙橋千善(たかはし・ちよし)>
1949年生まれ。東京都出身。1971年、成蹊大学経済学部卒、富士通入社。1990年に株式会社寿商会に入社し、95年に同社の代表取締役社長に就任。2018年5月9日にパラスポーツを応援する草の根運動の会【略称・渋谷パラ草の会】を設立した。同会の代表世話人として、パラスポーツを通して共生社会実現を目指す活動を展開している。
(構成・杉浦泰介)