二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2019.01.31
後編 9つのレガシー
~川崎から巻き起こすパラムーブメント~(後編)
二宮清純: 2020年東京オリンピック・パラリンピックにおいて、川崎市はイギリス代表の事前キャンプ地に選ばれました。
原隆: 2012年のロンドンパラリンピック開催後、ロンドンの市民の意識が大きく変わったと聞きます。イギリスから学べることは多く、事前キャンプ地に選んでいただいたことをとてもありがたく思っています。
二宮: 2012年大会の経験を伝えてもらうことができますよね。
原: そうですね。イギリス代表とは、ぜひいろいろな面で交流をさせていただきたいと考えています。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): キャンプ地決定後、ロンドンへ視察に行かれましたか?
原: ええ。福田紀彦市長をはじめ、議長、商工会議所会頭などと視察しました。その時にイギリスのパラリンピック委員会の方から、市民の意識が簡単に変わったわけではないことを伺いました。そこに至るまでにはいろいろな障壁を乗り越えてきたと。そこで「それは人やまちを変えていくポジティブなチャレンジなのだから明るくとらえてやっていけばいい」というアドバイスをいただいて、市長はとても感銘を受けました。川崎もパラムーブメントを進めていく中で、様々な障壁がある。私どもも、その壁にチャレンジするという前向きな姿勢でいこうと考えています。
二宮: イギリス代表側からの要望はあるんですか?
原: 具体的にはこちら側から聞けば、アドバイスをいただけます。いろいろな取り組みの中で、イギリス代表の関係者が来日された際には、意見交換をさせていただいています。宿泊施設や移動については様々なご意見をいただきました。私たちが一番課題にしているのは移動車両ですね。イギリス代表はユニバーサルデザインのタクシーが国内でリリースされた時に来日して試乗も行っています。その際、欧米の方は体格が違うので車椅子のサイズが大きくタクシーに乗り込めない場合があったと聞きました。
二宮: 宿泊施設についての意見とは、ユーザーサイドに立ったものでしょうか?
原: 例えば浴室の問題です。欧米ではシャワーだけの浴室がバリアフリー対応になります。一方、日本は浴槽に入ることを前提に造られているケースが多いんです。ユニットバスの場合、車椅子利用者など下肢に障がいのある人にとっては浴槽が邪魔になる可能性があります。入口の広さや段差を含め、改善されつつありますが、まだまだ国内のホテルは欧米の基準には対応できていないのが現状です。
【永遠に続く取り組み】
二宮: なるほど。ハード面ではまだまだ課題があると。
原: 私たちは「かわさきパラムーブメント」をスタートしてから宿泊施設のバリアフリーについて、川崎市内の宿泊施設を全部調査させていただきました。そのときにわかったことは市内のホテルは今の時点で稼働率90%を超えていて、経営者としては改修の間に休業することの不安が大きいのです。改修にもお金がかかり、さらに休業となればなかなか決断できることではないんです。私どもも、できればハード面を改修していただきたくても、強制力はありませんからね。
二宮: ビジネス客やインバウンドだけで十分だと。
原: はい。ただ、改修以外でも従業員がきちっと対応することで、カバーできる部分はかなりあると思っています。だから私たちは従業員向けの研修会を開催し、障がいのある人やマイノリティーの方に対するマニュアルを作って、お配りしたりもしています。少しでもソフト面で対応できるところはしましょう、と。正直、まち全体のハードをバリアフリー化することは無理です。そんなに税金を使ってなんでもかんでもはできるわけではありませんから。やはり究極は人々が助け合いをすることです。それを補完するのがハードなんじゃないかと、私どもは考えています。
伊藤: そうですね。私たち「STAND」もパラリンピアンの人たちと話していたのは、ハードというのは鉄、コンクリートなんです。まちの中にある階段や段差を溶かすのは簡単なことではありません。だから人々の心を解かす方が早いんじゃないかと。
原: 私もそう感じています。まずは意識を変えることがとても重要だと。私どもの「かわさきパラムーブメント」の取り組みでは9つのレガシーを掲げています。そのうちの1つである「多様性を尊重する社会をつくる子どもを育むまち」はどういう状態になれば達成できるのか。人は平等かつあらゆる機会の提供は公平であるということを理解して、誰もが各々の個性を互いに尊重し合えていると思える子どもを育てないといけない。山で例えるならば、その頂上をビジョンとして書いています。でも、いきなり頂上には辿り着けないので、庁内ではいろいろ議論しながら進めているところです。まずは2合目、3合目がどこなのかをみんなで共有して、そこを目指す。それがクリアできたら次の何合目を目指そうというふうに考えています。
伊藤: 素晴らしい取り組みですね。
原: 「素晴らしい計画ですね」と言われると同時に「でも、これって実現できますか?」と聞かれることもあります。行政計画だからといって設定した期間だけで終わるのではなく、この取り組みが延々と続くことがレガシーなんだと私どもは思っています。学校カリキュラムの中でインクルーシブ教育をどう進めていくか。教育委員会ではビシッと検討しています。極論すると9年後、今の小学1年生が中学校を卒業しているときにどうなっているかを見据えながらやっているんです。共生社会をみんなで意識して生活していき、過ごしていくことが重要です。それが自然と社会変革に繋がっていくんだと。これは永遠に続いていくべき取り組みだと思っています。
(おわり)
<原隆(はら・たかし)>
川崎市役所市民文化局担当理事・オリンピック・パラリンピック推進室室長。1961年、神奈川県出身。1979年4月に川崎市役所入庁。本庁や区役所などを経て、2011年4月に川崎市市民ミュージアム館長、2014年4月に川崎区役所田島支所長兼田島地区健康福祉ステーション所長を歴任。2016年4月より現職に至る。様々な部署での経験を活かし、東京2020大会を契機として全ての人が活躍できる社会を構築するために「かわさきパラムーブメント」の推進に尽力している。
(構成・杉浦泰介)