二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2020.03.26
後編 温度差のバリアフリー
~1964年から2020年以降も繋げるレガシー~(後編)
二宮清純: 吉田さんは1964年東京パラリンピックに通訳ボランティアとして参加したことで、バリアフリー建築を知り、今では斯界の第一人者と言われています。これまで手掛けたバリアフリー施設はどのくらいあるのでしょうか?
吉田紗栄子: この仕事を50年以上やっていますからね。100軒くらいはあると思います。特に記憶に残っているのは1964年東京パラリンピックで車いすバスケットボールなど6種目に出場した近藤秀夫さんの家です。彼の家は新築とリフォームを合わせて5回も携わりました。建てた後に「こんなにオシャレになるとは思わなかった」と言ってもらった時はうれしかったですね。
二宮: 5回もですか!? それはすごい。
吉田: 高知県に新築の家を建てる時には、近藤さんから「20畳の居間がほしい」というリクエストをいただきました。私は「掃除するのも大変ですよ」と言いましたが、彼は「掃除ロボットを買うからいい」と。その他には車いすでも寝室や浴室、トイレを難なく行き来できるような設計にしました。家を建てた後、近藤さんは「ぶつかることを考えなくて済むので本当に生活が楽になった」と喜んでくれました。私はそれまで彼が感じていた「不便さ」こそがバリアだと思っています。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 行動を制限されるストレスもひとつのバリアだということですね。
吉田: そうなんです。建物のバリアフリーがしっかりしていれば、その人にとっての障がいはなくなる。住まいがその人の生活、暮らし自体までをも変えられるということが、はっきりとわかった瞬間でもありました。生活の中にある「不便さ」という小さなバリアをひとつひとつクリアにしていくことで、その家に長く住めるし、暮らしていて豊かな気持ちになれると思うんです。
二宮: 「バリアフリー」という言葉もまだまだ本当の意味では浸透し切れていない部分があるんでしょうね。
吉田: 2006年にバリアフリー新法ができ、バリアフリーに関する法律も整備されてきました。一方でその基準を守ることばかりに意識がいってしまう方もいるんです。まだ当事者意識が足りないように感じます。いつかは皆、年を取ります。例えば高齢になり、目が見えにくくなる人もいます。でも視覚障がいのある人は既にその苦労を経験しているんです。
【必要なのは当事者意識】
伊藤: 吉田さんは「障がいのある人たちは、水先案内人のようなところがある」とおっしゃっていました。以前お話を伺った日本パラリンピック委員会の河合純一委員長も同じようなことを話していました。「障がいのある人は高齢者の先輩だと思っています」と。
吉田: 本当にそう思います。障がいのある人が不自由を感じない家であれば、自分が不慮の事故や病気で障がいを抱えたり、歳を重ねて足腰が弱くなったとしても不便に感じることは少ないはずです。日本では、そういった当事者意識がまだまだ希薄なように感じます。目に見えるものだけがバリアではありません。バリアフリーって聞くと皆さん段差をなくすことを想像なさるでしょうが、実は温度差にもあるんです。
二宮: 我々は段差やスペースなど見える部分ばかりに目がいきがちです。これは盲点でした。
吉田: これは危険なことなんです。厚生労働省のデータによると、2003年を境に国内で家庭内事故死の数が交通事故死の数を上回りました。お風呂で亡くなる高齢者が増えてきている。危険なのは、玄関に入ると、すぐにトイレがあるような家です。夜中、暖かい寝室から寒いトイレに向かう行為はリスクを伴います。お風呂の脱衣所もそうです。小さい暖房でもいいので、お風呂に入る前に脱衣所を暖めておくことが大事です。
二宮: ひとえにバリアフリーといってもいろいろなかたちがあるんですね。
吉田: ええ。だから私は今回の東京パラリンピックが、そういったいろいろなことを知る機会になってほしいと考えています。「パラリンピックがあったから住みやすいまちになった」と言えるようなレガシーを遺すことが理想です。私たちも何かできないかと思い、2018年に1964年の東京パラリンピックで活躍した通訳ボランティアたちで「64語学奉仕団のレガシーを伝える会」を結成しました。
伊藤: 会の活動のひとつが「選手をお茶に招(よ)ぼうプロジェクト」ということでしょうか?
吉田: そうなんです。例えば車いすのパラリンピアンを家に呼ぼうとなったら、「部屋の広さは大丈夫かしら」「トイレは使えるかしら」などと自然とバリアフリーのことを考えますよね。そういった点に気付くことが大事だと思うんです。
二宮: そのプロジェクトは単にパラリンピアンやパラアスリートとコミュニケーションを取りましょうってことにとどまらないわけですね。
吉田: ええ。とはいえ、段差や手すりなどにこだわる必要はない。それは工夫次第で何とでもなりますから。大事なのは誰もが居心地の良い空間であることではないでしょうか。
二宮: 人それぞれに合った設計があるということですね。
吉田: はい。私は高齢だということも障がいがあることも、人それぞれの個性に過ぎないと思っています。どうしても日本では特殊だと見られがちです。海外は違います。「障害者手帳」がないので、一市民という扱いなんです。だから今回の東京パラリンピックを通して知ってほしいのは、障がいのある人も高齢者も特別ではないということです。そして誰もが暮らしやすいまちづくり、家づくりが共生社会実現のためには必要だということ。それをできるだけ多くの人に伝えたいと思っています。
(おわり)
<吉田紗栄子(よしだ・さえこ)>
一般社団法人64語学奉仕団のレガシーを伝える会代表理事。1943年、東京都出身。日本女子大学家政学部在学中の1964年東京オリンピック・パラリンピックで通訳を担当。日本赤十字語奉仕団のメンバーとしてイタリア選手団付き語学ボランティアを務める。1966年に日本女子大学卒業。以後、障がいのある人々や高齢者の住環境設計を手掛ける。バリアフリー建築の先駆者として、「住まいのリフォームコンクール」高齢者・障害者部門優秀賞など数々の賞を受賞した。2001年にNPO法人高齢社会の住まいをつくる会の理事長に就任。2018年に一般社団法人64語学奉仕団のレガシーを伝える会を設立し、代表理事を務める。現在は有限会社ケアリングデザイン一級建築士事務所の代表も務めている。
NPO法人高齢社会の住まいをつくる会HP
一般社団法人ケアリングデザインHP
(構成・杉浦泰介)