二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2020.12.10
前編 "負けたくない"が行動の原点
~オリパラで"共走"するトライアスロン~(前編)
公益社団法人日本トライアスロン連合(JTU)は、国内のトライアスロンとパラトライアスロンを統括する競技団体だ。2012年よりパラリンピック対策チームリーダーを務める富川理充氏に、これまでの活動と競技に対する思いを訊いた。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 2012年にJTUのパラリンピック対策チームのリーダーに就任されました。恩師から協力を頼まれたことがきっかけと伺いました。
富川理充: そうなんです。パラトライアスロンが2016年リオデジャネイロパラリンピックで正式種目に採用された後、JTUではパラリンピック対策プロジェクトを立ち上げることになりました。私の現役時代のコーチであり、当時オリンピック対策プロジェクトリーダーを務められていた飯島健二郎さん(JTU常務理事)から「プロジェクトを手伝ってくれないか」と電話をいただいたんです。お世話になった飯島さんと自分が関わってきたトライアスロンに恩返しができると思い、詳しい内容も聞かずに引き受けました。
二宮清純: それはずいぶん思い切った決断でしたね。
富川: はい。初めて参加した会議で、プロジェクトリーダーに推薦されました。"日本のパラトライアスロンを強くしたい""やるからには負けたくない"という思いもありましたので、就任に迷いはありませんでした。「手伝ってくれ」というレベルからは大きく飛躍しましたが(笑)。
伊藤: それまでにパラスポーツとの関りはあったのでしょうか?
富川: このときが初めてでした。私が大学院に通っていた頃、ある先生から「パラ水泳を手伝ってくれ」と依頼されたことはありました。当時私はトライアスロンの現役選手だったのでお断りしましたが、そういった話を過去にいただいたこともあり、パラスポーツとは何かと縁があったのかなと思っています。就任当初は、リオパラリンピックに1人でも多くの日本代表選手を出場させたい、と考えていました。プロジェクトリーダーを引き受けたからには、"妥協したくない""出場権を争う他国の選手たちに負けたくない"という思いで強化を進めていきました。
伊藤: さきほどから「負けたくない」というフレーズが何度も出てきています。その思いが富川さんを突き動かしてきたんですね。
富川: はい。私自身、元選手なのでアスリートの気持ちは理解しているつもりです。"やるからには負けたくない"という気持ちは指導者となっても変わりはありません。
【感覚は多種多様】
伊藤: プロジェクトリーダーに就任した当初は、パラトライアスロンの競技人口は多くなかったのでは?
富川: そうですね。2011年に横浜でパラトライアスロンの大会が開催された際には、海外からの選手を含め参加者はわずか4名ほどでした。大阪、山形などにパラトライアスロン選手が所属するチームがありましたから、その関係者たちと連絡を取りながら、日本にはどういった選手がいるかという情報を集めていきました。
伊藤: 元トライアスロン選手だったとはいえ、パラトライアスロンという競技への対応は難しくなかったですか?
富川: 指導を行う上では、スイム(水泳)、バイク(自転車)、ラン(ランニング)の3種目を行うことに変わりはありませんから、トライアスロンの延長だと考えていましたが、やはり難しい部分はありました。
二宮: 車いすテニスの国枝慎吾選手らを育てた丸山弘道コーチから聞いた話ですが、「ゴーストペイン」と呼ばれるものがあるそうですね。ある選手が「切断した箇所が痛む」と訴えた時に、丸山コーチは「そんなわけないだろう」と怒ったというんです。丸山コーチはのちに切断しても痛みは残るのだと知り、「勉強不足だった」とおっしゃっていました。それだけパラアスリートの指導は難しい。
富川: 私も選手から直接聞いて気付かされたことがたくさんあります。例えば右腕を切断している選手にスイム中の話を聞くと、「ないはずの右腕を背中側に回しているような感覚」と言います。下肢切断の選手は、切断した箇所が「後ろに反っているイメージ」と話していました。選手によっても異なるでしょうし、それぞれに話を聞きながら、少しずつ感覚を理解するように努めました。一口に障がいと言っても程度や一人ひとりの感覚は違います。データや研究例がほぼないので、各選手にあった指導を心掛けています。
二宮: パラアスリートに対する知見が集積されたデータや論文などは海外にもないんでしょうか?
富川: まだ進んでいないですね。同じような障がいでも人それぞれで程度や感覚が異なりますから、指導法をレポートにまとめるとしたら百科事典ぐらい分厚いものになるでしょうね(笑)。ただやっていることはトライアスロンです。スイム、バイク、ランの3種目を総合したタイムで競うことは変わらないので、私が経験してきたことを指導に応用できます。あとは選手と綿密なコミュニケーションを繰り返していくことで、それぞれに応じた強化を図っていくしかないと思っています。
(後編につづく)
<富川理充(とみかわ・まさみつ)>
公益社団法人日本トライアスロン連合パラリンピック対策チームリーダー。1972年、茨城県出身。2008年に博士(体育科学)を筑波大学にて取得。2011年、専修大学商学部へ入職。同年、日本トライアスロン連合(JTU)の情報戦略・医科学委員に就任し、レース分析やトライアスロンスイムの研究を進めた。2012年よりJTUパラリンピック対策チーム(当時・パラリンピック対策プロジェクト)のリーダーに就き、日本のパラトライアスロンの牽引役を担っている。2015年には専修大学でトライアスロンクラブを創部。アジアトライアスロン同盟のパラトライアスリート委員会副委員長に就任した。2016年より国際トライアスロン連合のパラトライアスロン委員に就き、現在2期目を迎えている。
(構成・杉浦泰介)