二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2022.05.26
後編 仲間づくりのツール
~交流機会創出が共生への一歩~(後編)
二宮清純: 石井さんは車いすバスケットボール、障がい者セーリング、車いすソフトボールと様々なパラスポーツを経験してきました。車いすバスケを始めたきっかけは?
石井康二: 私は高校生の頃、交通事故により、両足に障がいを負いました。国立障害者リハビリテーションセンター(※1)に入所した際、同年代の人たちがこぞって車いすバスケットボールを始めたんです。最初から車いすバスケに興味があったわけではなく、そのコミュニティから外れるのが嫌だったというのが正直なところでした。それでもバスケは30年近くプレーし、U24日本代表になることができた。今振り返ると、練習が終わった後にみんなで食事に行く時間が好きだった。代表で合宿に行った際、宿舎で皆と語り合うのが楽しかったんです。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 最初は仲間づくりのツールとして、始めたスポーツだったわけですね。
石井: 本当にそうです。コミュニティの心地良さを求めながらも、自分がそこに居続けるためには技術を向上させていかなければなりません。それで上手くなる努力をしたという感じでしたね。
二宮: 石井さんは車いすバスケ、障がい者セーリング、車いすソフトボールの3競技でいずれも代表に選ばれていますね。
石井: はい。その3競技に共通するのが団体競技であることです。例えば代表選手の中でフィジカル面を測定したら、私は下から数えた方が早いでしょう。ただマネジメント能力を数値化すれば、他の選手に負けない。どんな組織でも活躍できる場所はある、という自信がありました。
二宮: 車いすバスケから車いすソフトボールならまだしも、障がい者セーリングにも挑戦した方は珍しいんじゃないでしょうか?
石井: そうかもしれませんね。私が日本代表になったのは3人乗りのクラスでした。1人は漁師のように海に詳しい船頭。もう1人は艇の操縦を行う力自慢。その2人の潤滑油的な存在が私です。車いすバスケを経験していたので、フィジカル面でのサポートもできますし、先ほど申し上げたようにマネジメント能力にも自負がありました。その点を評価していただき、日本代表に選ばれたんだと思います。
【車いすソフトで感じた「共生」】
伊藤: 一度、車いすバスケに復帰された後、今度は車いすソフトボールに挑戦します。当時、日本ではまだ、「車いすソフトボール」という競技はあまり知られていなかった。
石井: "日本でも車いすでできるベースボール型のスポーツをつくろう"という動きが出てきたんです。それに該当する競技が既にアメリカにはあり、海外でプレー経験のある車いすバスケ仲間の堀江航(※2)に聞いてみると、それが車いすソフトボールだということがわかった。航は現地の関係者から「いろいろ聞くより、チームをつくって試合に参加しなよ」と言われたそうです。その時、私を「日本で車いすソフトボールチームをつくって、アメリカに行かないか?」と誘ってくれたんです。
二宮: 全く未知の競技だったわけですが、肌に合ったと?
石井: そうですね。まずシンプルに楽しかった。野球経験はありませんでしたが、日本では野球に触れる機会が多かったので、ルールやポイントはある程度把握していました。渡米2日前になって使用球に触れた程度で、実際に球を打つのは数回だけでしたが、現地で実際に試合をしてみたら面白かった。「これだったら日本でも普及できるんじゃないか」と可能性を感じましたね。
伊藤: 素晴らしいノリと行動力ですが、やってみたら楽しかった――。これは競技を続ける上でとても大事ですよね。
石井: もちろんです。車いすソフトボールは、アメリカではレクリエーション寄りの競技だと感じました。でも、そのコミュニティにいる心地良さが魅力でした。敵も味方も野次ったりしながら、試合が終わればハグし合う。試合中にバーベーキューが始まったり、日本がヒットを打つと、敵チームが「アイツはサムライだ!」と大喜びしてくれる。良い意味でユルくて温かい雰囲気が最高でしたね。
二宮: 現地で体験した車いすソフトボールには、「共生」のかたちができていたんですね。今はeスポーツの世界でその可能性を探っている。
石井: 私ができることは、共生を必要とする交流の機会をいかに創出するか。まずはより多くeスポーツというツールを使って発信する。マイノリティ、スペシャリティにとらわれず、いろいろな人が交流する機会をたくさんつくれば、必然と相互理解に繋がると考えています。私はそれが共生社会への一歩であり、答えでもあると思っています。
伊藤: 今後に向けてはどのような活動を?
石井: 私は、マイノリティ、スペシャリティの当事者ですが、当事者であっても他のマイノリティ、スペシャリティのある人を理解できているわけではありません。理解していないがゆえに偏見を持っているでしょうし、もしかしたら差別をしているかもしれません。実際に言葉でコミュニケーションが取れない人と対面した時にどうしたらいいかわからない時があるんです。まずはそのための知識、スキルを習得したい。様々なマイノリティ、スペシャリティのある人と出会い、時には仕事などを一緒にすることで、自分の知らない世界を開拓していきたい。背伸びせず、できることをやりたいと考えています。
※1 障がいのある人々の自立した生活と社会参加支援のため、医療・福祉サービスを提供する福祉関連の総合的施設。
※2 車いすバスケットボール、車いすソフトボール、パラアイスホッケー元日本代表。パラアイスホッケーでは平昌パラリンピックに出場した。
(おわり)
<石井康二(いしい・こうじ)>
BASE株式会社Corporate Division Athlete Group Manager。1977年、埼玉県出身。1992年、交通事故により、両足に障がいを負い、車いすユーザーとなる。車いすバスケットボール選手として、2001年、U24車いすバスケットボール日本代表に選ばれた。2012年、車いすソフトボール選手に転向。日本代表のキャプテンを務めるなど、2017年の世界大会準優勝に貢献した。また2015年、障がい者セーリングにも挑戦。日本代表として、リオデジャネイロパラリンピック最終予選に出場した。2019年からeスポーツのメンタルコーチとして多くのプロチームを担当。現在はBASE株式会社Corporate Division Athlete Group Managerとして活動している。同社のアスリートチーム「BASE Athletes」のeスポーツチームマネージャー兼コーチを務めるほか、パラアスリートの指導やパラスポーツの普及活動にも取り組んでいる。好きなゲームは「シャドーバース」。
BASE株式会社HP
(構成・杉浦泰介)