二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2022.08.31
後編 絆と友情を育むプロジェクト
~未来に届けるモノと技術~(後編)
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 2011年にアジアの障がいがある人に、車いすを通しての自立生活支援を目的として、NPO法人さくら・車いすプロジェクトを立ち上げました。その経緯は?
斎藤省: 2000年頃から、来日した途上国の障がいがある人に中古の車いすを差し上げていました。2005年に15万人もの死傷者が出たパキスタン北部地震が発生し、大量の車いすが必要な事態に陥ったんです。その際の災害支援を機に、パキスタンでの車いす製作が始まりました。そしてパキスタン障がい者自立センターのシャフィック・ウル・ラフマン氏の尽力と日本の技術協力により、1年で彼らは2300台もの車いすを生み出すことができたのです。その流れは2008年、国を動かし、車いすの支給制度に繋がるという奇跡が起こりました。さらにパキスタンでは車いすの普及に伴い、"スポーツもできるのでは"と車いすクリケットという競技までもが誕生したんです。
二宮清純: パキスタンへの支援がきっかけで、法人化に繋がったと?
斎藤: はい。パキスタンでは、車いすの普及から次のステップに移っていきました。車いすを漕げない重度の障がいがある人たちに対し、ジョイスティック1本で動かせる電動車いすだったら使えると考えたのです。日本では、6年使用すると新車が支給されるシステムがあり、耐用年数の過ぎた電動車いすが毎年5000台以上廃棄されているので、"それを利用できないだろうか?"と。日本全国の車いす業者や、障がい者団体が協力すれば電動車いすは集まりますし、現地にいる自立センターの障がい当事者が修理技術やシーティング技術(車いすを利用者に合わせて最適な状態に設定・調整するための技術)を習得すれば車いすを長く使うことができる。送付や渡航費用は皆で少しずつ出し合えば何とか補えます。2011年、それらを実現するためにNPOさくら車いすプロジェクトが生まれました。
二宮: 現地に送る電動車いすは、壊れたものも送っていると伺いました。
斎藤: そうなんです。今まで約1100台の中古電動車いすを送っていますが、故障しているものも、たくさん含まれております。それには意味があるのです。到着したら、私たち技術者が現地に赴き、障がい当事者たちと一緒に修理を行い、技術の伝承をするのです。また修理できないものは2台を1台にしたり、分解して交換部品としてストックしておくので、決して無駄にはならないのです。
伊藤: だから、あえて壊れたものも送っているのですね。
斎藤: 30年ほど前からフィリピン、韓国、タイ、パキスタンなどの国々の障がい者団体に行って驚いたことがありました。いろいろな国から中古の車いすが支援されていたのですが、どこに行っても壊れた車いすが山になっていました。中には電動車いすもありました。修理に必要な技術や部品もなく、故障でゴミと化してしまっていたのです。その時に「モノだけの支援ではいけない。技術とセットでなければ」と、つくづく思いました。整備技術を現地の人たちに伝えることで、ゴミの山になっていた電動車いすが息を吹き返すことができ、壊れても修理できれば、再び使えるようになります。そのような土台が構築されたことでパキスタンでは現在、障がいのある人たちの手によって車いすが月500、600台生産され、政府に納める障がい者の事業になりました。そのおかげで、パキスタン中の障がいのある人たちに政府から支給されるシステムができたのです。
【国際交流がモチベーション】
伊藤: 素晴らしいですね。日本に車いす整備技術を学びに来る方もいらっしゃるのですか?
斎藤: 電動車いすの整備やシーティング技術を教えることはありますが、車いす製作は、先進国の日本での製法を見てもあまり参考にはならないのです。それより、何もないところから車いすを生み出す方法を体得したパキスタンの方が参考になります。今、パキスタン自立センターには、日本大使館の協力で車いす技術の研修ができる宿泊施設付きのビルが立ちました。次は彼らが技術を近隣他国に届ける側としての準備を整え、その輪がさらに広がろうとしています。
二宮: 技術や想いがきちんと伝承された結果ですね。
斎藤: これら海外との繋がりができたのは背景がありました。清掃業などを行う株式会社ダスキンは20年以上前から、アジア太平洋の障がい者リーダーの育成事業を牽引してきました。同事業はアジア太平洋地域の障がいのある若者を募り、選考を経て日本に招き、日本語研修から、ホームステイや自立センター体験など、希望の学び以外にも日本文化や日本の障がい者福祉を体験してもらう。私たちも、その研修生たちとの出会いから始まりました。研修生同志も同じ釜の飯を食った仲で、パキスタンのシャフィック氏が2015年のネパール地震の際、すぐ支援に行ったのも、また過日さくら・車いすプロジェクトからでモンゴルに車いすを送り、到着時に技術伝承に行くのですが、それもダスキンを縁とした友人たちなのです。そうやって日本と海外との架け橋をつくり、友情を育んでいる。そのような種を撒いているダスキンの事業は日本がもっと誇るべき素晴らしいものだと、私は思っています。
伊藤: 斎藤さんご自身もさくら・車いすプロジェクトを通じて、技術を伝承した各国の技術者たちと交流を深めています。その友情の輪が世界各地に広がっていると実感しているのではないでしょうか?
斎藤: そうですね。今、世界では戦争や対立が起き、分断の時代になりつつあります。私たちはさくら・車いすプロジェクトを通じ、国籍の違いや障がいの有無に関係なく、一緒に手を取り合い、協力することの素晴らしさ、そこから生まれる絆や友情などを多くの方に知っていただきたいと思っています。また、「レル・シリーズ」をはじめ、自立を応援する電動車いすを世に送り出し、車いすが特別なモノではなく、社会参加が楽しくなるような応援をして、共生社会に少しでも貢献できればと思っています。
(おわり)
<斎藤省(さいとう・しょう)>
有限会社さいとう工房代表取締役。1948年、東京都出身。1966年、都立府中工業高校機械科卒業。高校生の時からモータースポーツの競技大会に110回以上出場した。1972年、24歳の時に友人と株式会社東海熱学研究所を設立。専務取締役を務めた。1992年、ハンディホイラーに入社し、障がいのある人の送迎や旅行企画を運営した。1994年、さいとう工房を設立(2000年に法人化)し、電動車いすをメインに障がい者の自立機器を開発・販売をしている。2004年頃より、来日した発展途上国の障がい者に車いすを提供する活動を始める。2011年には、NPOさくら車いすプロジェクトを創設し、途上国における障がいのある人の自立生活支援に尽力している。2015年、「レルCommunity」開設。毎年様々な学校や障がい者団体また15~20カ国の障がい当事者や行政官が来訪している。毎月開催している交流会「レルカフェ」を通じ、新たなアイディアや取り組みを発信している。モノづくりを通じ、国内外のインフラ整備、共生社会実現に力を注ぐ。好きな言葉は「そうだとしても、こうすることもできる」。
(構成・杉浦泰介)