二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2022.09.15
前編 ハートにコストはかからない
~サスティナブルなパラスポーツ支援を~(前編)
あいおいニッセイ同和損害保険株式会社は、2006年に車いすバスケットボール日本代表チームの公式スポンサーをはじめ、2014年には日本障がい者スポーツ協会(現・日本パラスポーツ協会)のオフィシャルパートナーとなるなどパラスポーツ支援を積極的に行ってきた。2015年にスタートしたアスリート雇用は現在、13人のパラアスリートを含む18人のアスリートが社員選手として同社に所属している。それらの功績が称えられ、東京都スポーツ推進モデル企業に5年連続(2016年度~2021年度)で認定され、初の殿堂入りを果たした。同社で広報部スポーツチーム兼経営企画部の特命部長を務める倉田秀道氏にパラスポーツ支援への思いを訊いた。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 御社はいち早くパラスポーツを支援した企業という印象があります。
倉田秀道: ありがとうございます。私たちは後発だと思っているのですが(笑)。車いすバスケットボール日本代表チームに協賛したのが2006年。先日、日本車いすバスケットボール連盟の玉川敏彦会長と「まだ企業の協賛がない時代だったね。代表のウェアに企業ロゴが入った時の興奮は今でも覚えている」という話になりました。同連盟の及川晋平専務理事、男子日本代表の京谷和幸ヘッドコーチがまだ現役時代のことです。時の流れを感じますね。
二宮清純: 支援のきっかけは?
倉田: 提携先企業でバスケットボールの実業団チームを有しており、その背景から社内で「車いすバスケットボールチームの支援を」という流れとなりました。選手たちに直接話を聞くと、交通事故で車いすユーザーになられた方が7、8割でした。自動車保険という点で弊社に親和性があり、車いすユーザーの方たちの自立支援に繋がる活動になればいいと、協賛がスタートしたと聞いています。その後、2013年に東京オリンピック・パラリンピック開催が決まったことがトリガーとなり、「保険会社は下支えの業種。何か支えることができたら」と、2014年から経営企画部内にスポーツチームが立ち上がりました。
二宮: 倉田さんがリーダーとして?
倉田: はい。私は長い間、早稲田大学に出向していました。当時、早稲田大学スキー部監督の任にありましたが、スポーツチームの組成に目処が立ち一安心していると、「オマエに任せたぞ」とスポーツチームのリーダーを任命されたんです。スタート当初は大学のスキー部監督との"二足の草鞋"でした。
二宮: 今流行りの二刀流ですね(笑)。
倉田: それは光栄です(笑)。とはいえ、日本車いすバスケットボール連盟との繋がりはあったものの、何をすればいいかわからなかった。まずは、スキー関係者、スポーツ界のつながり、大学関係で情報収集しました。スキー繋がりでチェアスキーの大日方邦子さん(※1)、大学が同じパラ水泳の河合純一さん(※2)にも話を聞き、日本パラリンピック委員会の山脇康さん(当時副委員長)を訪ねました。そこで「大会を観に来てください」とのお話をいただき、あるパラスポーツの大会を観戦に行きました。2014年の春でしたが、会場は空席が目立ち、お客さんは少なかった。それで"まずはジャパンパラ競技大会の応援をしよう"というところからスタートしました。社内で大会の告知をすると、約100人が観に来てくれた。
【『「観て」「感じて」「考える」』】
伊藤: それはすごい。パラスポーツの大会にたくさんの観客が集まることがなかった時代ですよね。選手たちのモチベーション向上に繋がりますね。
倉田: 歓声を選手に届けることが大事だと思ったんです。また試合と試合の間に体験会を設えていた。弊社の社員も参加させていただき、行けば何か感じられる機会になると感じました。社内では『「観て」「感じて」「考える」』というスローガンを掲げました。まず観ないと分からない。観れば何か感じられる。そこから"自分たちは何ができるだろうか"と考えを深めてほしいと、このスローガンにしています。
二宮: 社内で観戦、応援を推奨しているわけですね。
倉田: はい。弊社は全国に部支店・支社がありますので、大会がどこで行われても参加できます。応援は2014年から現在に至るまで継続しており、最近は取引先にまでお声掛けしています。
伊藤: 100人がひとつの競技を観に行って、全員がファンになることはまずない。それでもいい。そのうちの30人が「この競技面白い」と思ったら、30人の誰かが次回、友人を誘って試合を観に行くかもしれません。そうやって、まず競技を知ってもらうことがファンを増やす第一歩です。
倉田: そう思います。例えば「車いすバスケットボールのファンになった」と言う人もいれば、「ゴールボールをやってみたい」と興味を持つ人もいます。いろいろな人がいるのが自然だと思うんです。「大会を手伝いたい」「もっと選手を支えたい」という声も上がってきて、例えば、全国障がい者スポーツ大会の出場権を得るための県予選のボランティアに各支店の社員たちが能動的に参加するようになりました。
二宮: 「する、観る、支える」の流動性が出てくればいいですよね。その循環が大事。御社は昨年度、東京都スポーツ推進モデル企業に5年連続で認定されました。
倉田: これは2015年度に東京都が制定したものです。実践部門と支援部門があり、支援部門で5年連続認定いただき、殿堂入り企業として表彰していただきました。事を進めるのにコストがかかる。実は弊社、本業以外のイベント的なことにはコストをあまりかけていません。あまりお金をかけず、敷居を低くして、みんなが参加・応援できるにはどうしたらいいかと考えてきた。スポーツ支援も同じで、それが継続的な支援に繋がっているのだと思います。
二宮: 確かにコストをかけないことで、企業としては辞める理由がなくなる。パラスポーツの支援を継続しやすくなりますね。
倉田: おっしゃる通りです。ハードにコストはかかりますが、ハートにコストはかかりませんからね。ハードも大事ですが、意識の問題が先だろうと思います。今後も持続可能なかたちでパラスポーツを支援していきたいと考えています。
※1 チェアスキーでリレハンメル大会からバンクーバー大会まで5大会の冬季パラリンピックに出場し、通算10個(金2、銀3、銅5)のメダルを獲得した。現在、日本パラリンピアンズ協会会長のほか、あいおいニッセイ同和損害保険株式会社の社外取締役も務める。
※2 パラ水泳でバルセロナ大会からロンドン大会までの6大会の夏季パラリンピックに出場し、通算21個(金5、銀10、銅6)のメダルを獲得した。現在、日本パラリンピック委員会委員長を務める。
(後編につづく)
<倉田秀道(くらた・ひでみち)>
あいおいニッセイ同和損害保険株式会社 広報部スポーツチーム兼経営企画部特命部長。1961年、千葉県出身。早稲田大学院スポーツ科学研究科修士課程を修了。1984年、大東京火災海上保険(現あいおいニッセイ同和損害保険)に入社した。1996年に早大スキー部のコーチを皮切りに、2003年監督に就任、日本オリンピック委員会強化スタッフ、全日本のコーチを歴任。早大スキー部監督としては、2007年の全日本学生スキー選手権大会で40年ぶりの総合優勝に導き、その後、男女合わせて9年連続で優勝する成績を収めた。2016年の任期まで監督を務め、冬季オリンピック・パラリンピックではノルディック複合の渡部暁斗、パラアルペンスキーの村岡桃佳ら教え子が活躍した。人材育成、コーチング、組織づくり、スポーツSDGsの講演など幅広く活動している。
あいおいニッセイ同和損害保険障がい者スポーツ応援サイト「AD Challenge Support」
(構成・杉浦泰介)