二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2022.12.22
後編 もっと子どもたちを笑顔に!
~陸上を通じ、"共走社会"へ~(後編)
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 塩家さんは障がいの有無にかかわらず、誰もが参加できる陸上教室やレクリエーション活動を行うNPO法人シオヤレクリエーションクラブ(SRC)を2016年に創設しました。そのきっかけは?
塩家吹雪: コーチとして帯同した2012年ロンドンパラリンピックです。試合がない日に、スタジアムの外を歩いていた時、近くのバスケットボールコートで義足の子、知的障がいのある子、障がいのない子が混ざって楽しそうにボール遊びをしている姿を見掛けました。その時に「私は間違っていたかもしれない」と思ったんです。
二宮清純: 間違っていた、とは?
塩家: もっと草の根から指導すべきだったんじゃないかと思ったんです。当時、私はパラリンピックに出場するトップアスリートを指導していました。しかし、その彼らも子どもの頃にきちんと指導を受けられていたのか、ここまでどうしてきたんだろうと思った時に、自分がその役割を果たすべきだと気付いたんです。帰国して1週間後、タイミング良く、当時勤めていた職場の同僚から「営業で立ち寄ったある家庭の保護者から"ウチの子、目が見えないんだけど、かけっこを教えてくれる人をご存じないですか?"と言われました。塩家さん、子どもの指導はできますか?」と電話が入りました。もちろん私は引け受けたいと。その後、同じ学校の子たちにも声をかけて視覚障がいのある子を数人集めた陸上教室がスタートしました。
二宮: それがSRCの原点ということですね。
塩家: はい。SRCの前身となる「塩家ランニングクラブ」を立ち上げ、陸上教室をスタートすると、障がいのある子どもたちを一般の陸上大会に出したいと考えるようになりました。その大会に向けて、私と同じアテネパラリンピックで伴走者を務めた1人と、ロンドンパラリンピックで伴走者を務めた2人に声をかけ、4人で"伴走オールスターズ"を組みました。日本で初めて視覚障がいのある子を一般の大会に出すんだったら、4人とも世界を知っている伴走者であった方が子どもたちも喜ぶだろうと考えたからです。
二宮: 「塩家ランニングクラブ」が、障がいの有無にかかわらず参加できるようになったきっかけは?
塩家: 元々、私が代表を務めていた陸上クラブ(AC・KITA)でも、障がいの有無は関係なく一緒になってトレーニングをしていました。子どもたちに陸上を教える「塩家ランニングクラブ」でも同じようにしなければ意味がないと思っていたところ、偶然、練習を見ていた障がいのない子どもの保護者から「かけっこ教室やっているんですか?」と声を掛けられたんです。それで私が「今は視覚障がいのある子だけですが、良かったら一緒にやってみませんか?」と誘うと、「ぜひお願いします」と。それが今の土台になっていますね。
【クラブはひとつの家族】
伊藤: パラスポーツの指導はボランティアが多い中、塩家さんは有料で指導されているそうですね。
塩家: しばらくは私たちも持ち出しで指導をしていたのですが、ある疑問が浮かんだんです。それは、"もし私たちがいなくなったら、選手たちはどうするんだろう"と。クラブを継続していくためにはお金が必要ですし、指導者がボランティアでは本職の仕事を優先してしまうケースもある。そこで指導料をいただき、責任を持って指導するというビジネス形態をつくらないと、パラスポーツ界全体として、この先広がっていかないと思ったんです。指導料をいただくようになってから、子どもたちの数も増えていきましたし、記録も伸びていきました。
二宮: コロナ禍で会員数は減少しませんでしたか?
塩家: SRCは月謝制じゃなく、1回の教室ごとに指導料をいただいています。だからコロナが理由で、「会費を払っても通えないんだったら......」と会員を辞める人はいなかった。実はコロナ前より最近の方が会員数は増えているんです。おかげさまで今は会員160人ぐらいになりました。
伊藤: クラブ会員の障がいの有無の割合は?
塩家: ほぼ半分ずつですね。最初は障がいのある子がほとんどだったのですが、それがどんどん同じくらいになった。基本的には、陸上の記録を伸ばしたい子が集まりますが、SRCはレクリエーション活動もしています。スポーツであればスキー教室をやったり、スポーツ以外では田植え、野菜の収穫、潮干狩りなども経験しています。身体を動かしながら取り組んでいくうちに、お互いに交流が生まれます。この活動を通じて障がいの有無に関係のない共生社会の実現を目指しています。
伊藤: 一緒にやっていて、いいなと思う面はありますか?
塩家: いっぱいありますね。一緒に練習をすることで、障がいのない子どもは障がいについて知ることができる。みんながみんなを応援し、みんなで取り組めることが大事です。ぜひ教室の様子を見に来ていただきたい。子どもたち同士がコミュニケーションを取って、お互いを知ることが共生には必要だと思っているんです。そして、それがSRCでは確立できている。だからパッと見では誰が障がいのある子かわからない雰囲気です。それに保護者同士が仲良くなり、クラブがひとつの家族のようになっているのも、ウチの特長です。
二宮: 今後に向けての展望を。
塩家: 私は"子どもたちの笑顔に障がいの有無は関係ない"と思っています。子どもたちが笑顔になる環境を全国につくっていきたい。いずれはSRCの活動を全国47都道府県に展開したいと考えています。今は千葉、東京、神奈川、大阪。まだまだ先は長いですけど、コツコツやりながら、死ぬまでに絶対実現したいと思っています。
(おわり)
<塩家吹雪(しおや・ふぶき)>
NPO法人シオヤレクリエーションクラブ理事長。1971年、新潟県出身。中学から陸上を始める。19歳の時にクラブチームを立ち上げ、選手兼代表として活動する。2000年の視覚障がい選手入部をきっかけに伴走者としてパラリンピックをはじめ、数々の国際大会に出場。引退後は指導者としてパラアスリートの育成や日本代表のコーチなどを務める。2016年にNPO法人シオヤレクリエーションクラブを創立。障がいの有無にかかわらず子どもから大人まで参加できる陸上教室の開催やレクリエーション活動を行っている。スポーツを通じた共生社会の実現を目指し、2023年春より早稲田大学大学院スポーツ科学研究科にて研究予定。
シオヤレクリエーションクラブHP
(構成・杉浦泰介)