二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2023.02.09
前編 ブレない最終目標
~オリ・パラの垣根を超えるスイマーに~(前編)
先天性の弱視である長野凌生はパラ水泳の競技大会に出場する一方で、2022年の日本社会人選手権水泳競技大会にも挑戦するスイマーだ。中央大学在学時は水泳部に所属し、オリンピックを目指す選手たちとトレーニングを積んできた。2020年、野村不動産パートナーズ株式会社入社後も同大を拠点として練習に励んでいる。オリ・パラの垣根を超えようと挑戦するアスリートに話を訊いた。
二宮清純: 一昨年開催された東京パラリンピックは、大会前のクラス分けにより、本大会出場がかないませんでした。視覚障がいのカテゴリーは11~13までの3段階あり、長野選手はS13(一番障がいが軽い弱視)クラスでした。ところがそのクラス分け判定によりS13から外されてしまった、と。
長野凌生: 私がS13から外された要因は視力の矯正が若干効いたことです。通常の視力はS13クラス(0.04~0.1)範囲内の0.08ですが、眼鏡などを掛ければ、視力が上がる傾向が表れたからです。視覚の障がいがあることは認められたものの、S13クラスでのNE(Not Eligible=不適格)判定となったのです。このためパラ水泳の国際大会に出場することができなくなりました。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): もう一度、クラス分けの審査を受けることはできるのでしょうか?
長野: 私1人でどうにかなるという問題ではないのが正直なところです。もし受けるチャンスがあるとすれば、国内でもう一度診断書を作っていただき、再度海外でクラス分けが受けられる国際大会に行くしかないですね。現在の私はConfirmed(将来的にクラスが変わる可能性はない)と判定されていますから、再びS13クラスに戻る可能性はかなり低いんです。
二宮: 仮に視力が落ちた場合は?
長野: クラス分けを担当した海外の医師は、「症状が悪化するようであれば、もう一度受け直せば戻るかもしれない」と言っていました。ただ私の持っている病気は、進行するようなものではないので難しいと思います。
伊藤: NE判定が下された時の想いを改めて、お聞かせください。
長野: せっかく東京パラリンピックの日本代表に内定していたのに、自分の実力とは関係ないところで外れることになってしまった。非常にやるせなくて、本当にショックでした。当時、外国にいましたが、"この後、どうしたらいいんだろう"と、しばらくはぼんやり過ごしていました。
【日本選手権出場というゴール】
二宮: 長野選手は現在25歳。アスリートとしては一番脂が乗ってくる年代です。目標としていた大会への道を閉ざされたのは、もどかしいのでは?
長野: はい。中央大学を卒業し、野村不動産パートナーズに就職した時、東京大会とパリ大会のパラリンピック出場が大きな目標でした。それを目指すためにアスリート雇用をしていただいた。しかし、パラリンピック出場という目標が急に閉ざされてしまった今、どうすればいいか、と最初は手探りの状態でした。その答えを出すのに時間はかかりましたが、私が目指すべきはもっと速くなることだ、と。もし記録が残らなかったとしても、自分が競技を辞める時に納得できるよう全力を尽くしたい。今はパラ水泳の大会ではなく、国内最高峰の競技会である日本選手権出場を目指しています。
伊藤: 2年前に掲載されたインタビューを拝見しましたが、東京パラリンピック出場を目指していた当時から日本選手権出場を目標に設定されていましたね。
長野: そうですね。私がパラリンピック出場を目指していたS13クラスは当時、日本選手権の参加標準記録を突破するタイムを出せば、パラリンピックでメダル獲得の可能性は高いと言われていました。だから日本選手権出場は、自分にとって競技者としてのゴールと呼べるような目標だったんです。
伊藤: 母校・中央大の水泳部の先輩からは「オマエが(日本選手権に)出るまで待っているぞ」と声を掛けられたそうですね。
長野: 先輩たちは冗談のつもりだったかもしれませんが、その言葉は今でも私の胸に残っています。パラリンピック出場はかないませんでしたが、日本選手権出場という最終目標はブレていません。
伊藤: 昨年11月、パラ水泳の大会ではない日本社会人選手権水泳競技大会に出場しました。日本選手権出場の最終目標に一歩ずつ近づいているということでしょうか?
長野: 参加標準記録には3秒弱及ばないので、現時点では無謀な挑戦と思われるかもしれません。今は目標に少しでも近付くことを考えながら、競技に取り組んでいます。私が本格的に水泳を始めたのは高校からなので、まだ自分は速くなれると信じています。それにパラリンピックという主戦場がなくなったにも関わらず、現在も競技を続けさせていただける会社には感謝しかありません。私のようにパラリンピック出場が難しくなった後も競技を続ける選手は珍しいと思いますので、そういった立場を理解しながら、今後は活動していきたいと考えています。まずは日本選手権出場を目指しつつ、会社に恩を返せるようにレースの結果で期待に応えたいと思っています。
(後編につづく)
<長野凌生(ながの・りょう)>
1997年9月17日、東京都出身。S21クラス。先天性の弱視。バスケットボール元日本代表の父・洋の影響でバスケットボールを始める。筑波大付属盲学校、中央大学では水泳部に所属。パラ水泳のS13クラスで50メートル、100メートル自由形日本記録保持者。東京パラリンピック日本代表に内定したものの、クラス分け判定により本大会出場はかなわなかった。2022年には日本社会人選手権水泳競技大会に出場。現在は国内最高峰大会である日本選手権水泳競技大会の出場を目指している。趣味はスポーツ観戦、アニメ観賞など。幼少期から東京ヤクルトファンである。身長192センチ。野村不動産パートナーズ株式会社所属。
野村不動産パートナーズ株式会社HP
(構成・杉浦泰介)