二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2024.02.08
前編 清水建設で競技続行
~挑戦し続ける"二刀流"スイマー~(前編)
パラ水泳・女子50メートル背泳ぎ(S8クラス)日本記録保持者の花岡恵梨香は、2017年に本格的に競技を始め、国内トップスイマーとなった。2020年に清水建設株式会社入社後は、車いすカーリングにも挑戦するなど、活躍の場を広げている。仕事と競技、夏季競技と冬季競技。それぞれの"二刀流"に磨きをかける彼女に話を訊いた。
二宮清純: 大学院2年時の2014年に、国の難病に指定されている病気にかかり、四肢麻痺となったとうかがいました。
花岡恵梨香: 体調が悪かったので病院に行き、難病と診断されました。手術をしたものの、症状の進行が速く、身体に麻痺が残ってしまったのです。ただ幸いだったのは、小児病棟に入院したこと。同部屋の子どもたちがとても無邪気で、いつもとっても楽しかった。そのおかげで落ち込むこともなかったんです。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): そこから水泳を始めたきっかけは?
花岡: 元々陸上をやっていたので、本当はそこに戻りたかったのですが、私は障がいの左右差があり、走る、跳ぶ、投げることが難しかった。車いす競技も左右差があることで真っすぐ進むことが困難だった。そのためスポーツからは一時、離れていたんです。リハビリと療養のために休学していた時期に、2016年のリオデジャネイロパラリンピックが開催され、そこで私と似た障がいのある男子50メートルバタフライ(S7)でパラリンピック2大会連続メダリスト(北京大会銀、ロンドン大会銅)の小山恭輔さんが出場していた。その姿を見て、"私も泳いでみたい"と思い、東京都障害者スポーツセンターの水泳教室に行ったことがきっかけでした。
二宮: やるからにはパラリンピックを目指したい、と?
花岡: いえ、最初はそこまで考えていませんでした。ところがある日、東京都障害者スポーツ協会の方に「東京パラリンピックを目指さないか?」と誘われたのがきっかけです。どうやら水泳教室で私が4泳法(クロール、平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライ)できるようになったという話を聞いた協会の方が声をかけてくださったそうです。最初は気分転換のために水泳を始めたので、競技として水泳をすること自体に迷っていたのですが、水泳教室を担当していたスポーツセンターの職員の方に「誰でも声を掛けてもらえるわけじゃないよ。出られるかどうかは別にして、可能性があるならやってみたらいいんじゃない。私は応援するし、そのためのサポートだったらいくらでもするよ」と言っていただいた。"じゃあ騙されたと思ってやってみよう"と決心しました。結果的に本格的に水泳を始めて半年で、ジャパンパラ水泳競技大会に出場し、50メートルバタフライ(S6)で優勝することができました。
伊藤: すぐ4泳法すべて泳げるようになるなんて、運動神経が良かったんですね。水泳のご経験はあったのでしょうか?
花岡: はい。小学生の時にスイミングスクールに通っていた程度のレベルで、選手コースに入るほどではありまでんした。体育で、周りより少し泳げるくらい。当時はバタフライは苦手でした。
【出会いに感謝】
二宮: パラスポーツは一人ひとりの障がいがすべて同じというわけじゃない。その意味では手本にする人が少ない。自ら工夫し、スタンダードをつくっていかなければいけません。
花岡: そうですね。私は障がいが理由で、飛び込むことができず水中スタートなのですが、日本には手本となる選手がほとんどいないんです。例えば、私は麻痺の程度に左右差があるため、バタフライでドルフィンキックをする際、手をまっすぐ前方に出すことができません。無理に出しても、どうしても水の抵抗を受けてしまう。それで、どうすればいいかを考えた時に、いわゆる"気をつけ"の姿勢で両手を下げて泳ぐ方がいいだろうと。そうすれば抵抗を減らすことができますから。また、2018年にはルール改正があり、バタフライは片手で泳ぐ選手は、体が大きく傾いてはいけないというものに変わりました。それに対して、私は息継ぎに工夫して、対応しました。
伊藤: 花岡さんは大学で情報科学を専攻されていたと、うかがいました。その後は大学院に進んで研究もされた。大学で学んだことが競技に通じる部分はありますか?
花岡: そうですね。大学院では応用数学という分野の研究をしました。例えばルービックキューブの配置パターンはいくつかあるのかを数えたり、そこから一番手数がかかる配置はどれなのかを計算したりすることです。私はそうやって考えたり、工夫したりする研究が好きなんだと思います。そういう意味では水泳でも研究に通じるものがあると感じます。
伊藤: 2020年に清水建設株式会社に入社しました。
花岡: 2019年に就職活動を始めました。最初は仕事と競技を両立できる環境を探していましたが、アスリート採用で競技者として100%応援するけど、仕事はほとんどしないという環境か、いわゆる障害者雇用で競技の支援はできないという環境のどちらかしかなかった。悩んだ末に、"この先は仕事をする時間の方が長い"ということを理由に、11月の日本選手権を最後に競技生活は引退しようと考えていました。
二宮: そこから、なぜ現役引退を翻したのでしょうか?
花岡: これはご縁ですね(笑)。2019年に津田塾大学で特別シンポジウムが開催され、私がパネリストとして参加しました。清水建設はこのイベントのオフィシャルサポーターだったのです。二宮さんと伊藤さんともこの時ご一緒しましたね。その清水建設が障害者雇用で求人募集をしていたので、応募してみました。面接の場で「競技活動を応援したい」と言っていただきました。私自身、一度は諦めた水泳を、続けていくべきかという葛藤もありましたが、その場でサポートを約束してくれたのです。そして、「いつから来れますか?」と、トントン拍子に話が進んでいきました。そこまで言っていただけるのは光栄なこと。就職活動を始めた当初、私が望んでいた「仕事と競技を両立できる環境」。それが清水建設にはありました。そこでもう一度、競技を頑張ろうと決心しました。
二宮: 人生は何が起こるか分からない。まさに「人間万事塞翁が馬」ですね。
花岡: そうですね。今でも障がいがあって良かったとは思いませんが、すべてが不幸になったかと言うとそうではありません。水泳を始め、日本一になれましたし、日本記録を塗り替えることもできた。別の道を歩んでいたら出身地である江戸川区から表彰されることもなかったでしょう。今の会社にも入社できなかったかもしれませんし、競技や仕事をやっていく中で、いろいろな人と出会うこともできた。節目節目での出会いに感謝し、これからも競技を頑張っていきたいと思います。
(後編につづく)
<花岡恵梨香(はなおか・えりか)>
東京都出身。パラ水泳は女子50メートル背泳ぎS8クラスの日本記録保持者。2014年、津田塾大学大学院修士2年時に病気により四肢麻痺となる。2015年、同大大学院理学研究科情報科学専攻修士課程修了。2017年、競技として本格的にパラ水泳を始める。競技を始めて半年で出場したジャパンパラ水泳競技大会の50メートルバタフライ(S6)で優勝。日本身体障がい者水泳選手権大会(現・日本パラ水泳選手権大会)で50メートル自由形(S7)と同バタフライ(S7)の2種目を制した。その後も出場する多くの大会で優勝を飾る。2020年、清水建設株式会社入社後も競技を続け、2021年には日本パラ水泳選手権大会の50メートル背泳ぎ(S8)で日本新記録を樹立。その2年後の日本パラ水泳選手権大会では、同種目の日本記録を塗り替えるなど2種目を制した。清水建設株式会社所属。
清水建設株式会社
(構成・杉浦泰介)