二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2024.04.25
後編 未来に繋がる"恩返し"
~挑戦なくして成長なし~(後編)
二宮清純: 官野さんは、パラサイクリストとしてパラリンピックを目指しながら、企業の社員として働き、のちに起業もします。活躍の場は多岐に渡っていますね。
官野一彦:車いすラグビー選手時代からアパレルブランドに個人スポンサーになってもらったり、講演したりと、自由にやらせてもらいました。それは自分自身のキャリアのため。ある競技関係者から「競技に集中しろ」と言われたこともありましたが、「なんて無責任なことを言うんだ」と思いましたね。私が引退したら面倒を見てくれるわけではありませんから。自分の人生を長いスパンで考えた時、パラリンピックでメダルを獲るのは通過点でした。死ぬまでが私のキャリアなんです。決して競技に集中していなかったわけではなく、将来のことを考えた上での選択でした。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): そんな中、ダッソー・システムズに転職したわけですね。
官野: はい。前職から2017年に転職しました。転職自体はリオデジャネイロパラリンピック前から考えていましたが、自分自身を高く売るならメダルを獲ってから転職した方がいいと思っていました。既に東京パラリンピック開催が決まっており、パラアスリートを採用する動きが広がっていた。私が転職先を探した時、44社から声をかけていただきました。44社の中から最終的に数社に絞った中にあったのがダッソー・システムズでした。
二宮: 決め手となったのは?
官野: 面接をした時、一番グッときたのが「官野さんがメダルを獲るために私たちができることを教えてください」と言われたことです。「会社を興こして、これこれこういうことをやりたいんです」と話すと、「もちろんですよ!」と全面的に支持してくれた。私の条件は複業ができ、競技力向上のためのアメリカ留学を認めてくれること。そのどちらも認めてくれたので、ダッソー・システムズにお世話になることを決めました。
伊藤: 2017年当時は、まだ国内企業の多くで複業という文化がなかった頃です。
官野: その点で、弊社は理解が進んでいるんだと思います。入社してすぐに、個人事業主として講演や企業研修などの仕事を受けていました。そこで稼いだ資金を車いすラグビーのアメリカ留学に充てました。
伊藤: そして、TAG CYCLEを2020年に起業しました。
官野: 2019年に車いすラグビーの日本代表から外れた時、自分の人生を振り返ると、信じられないくらいたくさんの人にお世話になってきたことに気付きました。アスリートとして晩年を迎えたとき、今度は自分が恩を返す番だと思ったんです。障がいのある人専用のトレーニングジム運営や、障がいのある人に対する住宅コンサルティングを行う会社を立ち上げました。それは私だからできること、私にしかできないこと。自分のキャリアを世の中に還元したいと思ったからです。
【"縁の下の力持ち"に】
二宮: 競技以外でもチャレンジし続けているわけですね。
官野: そうですね。私は安定=停滞だと思っているんです。だから足場がないところに行って、足場を組むのが好き。それを使って、また足場の悪いとこに向かう。そういう性分なのかな、と。
二宮: 競技者としての目標は、パラサイクリングでパリパラリンピック出場、ロサンゼルパラリンピックでメダル獲得。その後のプランは?
官野: 先日、小学校で講演をした時に「メダルを獲った後、何をするんですか?」と子どもたちに聞かれましたが、言葉に詰まりました。アスリートとしては28年のロサンゼルス大会までの4年間で新しく興味が湧く競技があれば、そこに転向するかもしれませんが、なければないでいい。無理やり探そうとは思っていません。競技以外の面で今、考えているのは会社に貢献すること。私がパラサイクリングで得たデータや知見を、弊社が作成する3Dソフトウェアに有効活用できると思っています。それはパラスポーツに限らず自転車競技、陸上とも相性がいい。いずれは競輪選手や陸上選手のフォームづくりに転用できるようになると考えています。
伊藤: それはアスリートに限らず、高齢者の健康寿命延伸にも役立ちますね。
官野: おっしゃる通りです。例えば、足を痛めて引きずるように歩く人たちの靴底を1センチ上げると身体にかかる負担をどれだけ減少できるのか、それをデータ化できるシステムを弊社は持っています。このソフトは世の中で起こり得ることをコンピューターの中で、シミュレーションできる。それは障がいのある人や高齢者、もちろんアスリートなど、いろいろなジャンルに転用できます。あまり知られていませんが、大型ジェット機のボーイング777の開発にも弊社のバーチャル技術が用いられています。"縁の下の力持ち"として社会を支える会社を誇りに思っています。私自身、会社でやりたいことがたくさんあり過ぎて今、とても幸せです。会社で動作解析、行動解析などの専門家の人たちと話していると、いろいろな可能性が見えてきて、ワクワクが止まりません。これからも、いろんな分野で挑戦し続け、社会に恩を返していきたいと考えています。
(おわり)
<官野一彦(かんの・かずひこ)>
パラサイクリスト。1981年8月1日、千葉県出身。野球の強豪・木更津総合高校にスポーツ推薦で入学し、1年生からレギュラーで活躍する。卒業後はサーフィンを始めるが、2004年、22歳の時にサーフィン中の事故により頸椎を損傷し、車いす生活に。2006年から車いすラグビーを始める。日本代表として2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと2大会連続でパラリンピックへ出場。リオ大会では日本車いすラグビー史上初の銅メダルを獲得。2017年にダッソー・システムズ入社。2020年、車いすラグビーから引退。現在はパラサイクリングでパリパラリンピック出場を目指している。また実業家としての顔を持ち、2020年にTAG CYCLE株式会社を設立した。障がい者専用トレーニングジムの運営、障がいのある人が住みやすい家づくりのためのアドバイザーなど、様々な活動を通じて社会に貢献している。
(構成・杉浦泰介)