二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2025.01.30
後編 政治家へのチャレンジ
~誰もが挑戦できる社会に~(後編)
二宮清純: 2021年の東京パラリンピック開催によるバリアフリー化は実感されていますか?
神村浩平: それは最近になって、実感しています。東京パラリンピック開催以降、普段は公共交通機関を利用するようになりました。私は川崎で暮らしていますが、移動に関して都心で困ったことはほとんどありません。私は18歳で自動車の運転免許を取得するまでは、公共交通機関を使って移動していました。その頃と比べ、今は格段に変わりましたね。たとえば電車はホームと車両が近いですし、段差も少なくなってきたと感じます。
二宮: 都心にいれば不便を感じることはないと?
神村: そうですね。お店やまちにもよるのでしょうが、レストランでも困ったことはありません。ただ公共交通機関までの距離が遠い地方に住んでいらっしゃる方は、不便に感じることもあるのかな、と思います。
二宮: それだけ川崎というまちは、バリアフリーが進んでいるということでしょうか。加えて川崎市は共生社会実現についても、先進的な印象があります。
神村: 川崎生まれ、川崎育ち、今もこのまちで暮らす私から見てもそう思います。市の福祉課に川崎市の補助サービスが掲載されている冊子があるんです。それを読む限り、あらゆる障がいに対する福祉サービスが整っていると感じます。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): 川崎市は多文化共生社会推進指針を20年前に策定するなど、多様な人々への配慮が、きちんと制度化されていると聞きます。
二宮: 福田紀彦市長も共生社会実現に積極的ですよね。
神村: 川崎市は、福祉製品、共用品及び福祉サービスの開発及び改良等にかかる経費を助成しています。市内の法人であれば、その補助金を交付されるための公募に参加することができます。
伊藤: 下肢障がい者向けの手動運転補助装置「ハンドコントロール」については、川崎市に限らず、全国の教習所とも連係されているそうですね。
神村: おかげさまで、現在は40を超える教習所で使っていただいています。
【ポジティブ思考】
二宮: 今後は「ハンドコントロール」に加え、手動式車椅子に着脱できる電動アシスト装置という製品との二本柱で事業を展開していく予定でしょうか?
神村: 起業して10年以上が経ちました。チャレンジすることへの格差をなくすことが、株式会社ニコ・ドライブのスタートラインです。私にそのチャレンジのきっかけをつくってくれたのは自動車でした。移動格差がなくなったことで、障がいのある私の世界が広がった。事業家としては「ハンドコントロール」の製造・販売を事業の柱として進めてきました。現在は手動車椅子用の着脱式電動アシストの製造・販売が加わりましたが、これまでの事業は事業として進めつつ、誰もがチャレンジできる社会にしたいという目的を果たすため、次は政治家を目指そうと考えています。
二宮: 政治家ですか?
神村: はい。どうしても障がいのある人が起業すると、障がいのある人のための事業を行っていると思われがちです。その固定観念を壊したいと思っているんです。障がいのある人だけに目を向けるのではなく、誰もがチャレンジしやすい社会へ。そのための手段として政治活動を考えています。
二宮: お話を聞いていると神村さんは非常にポジティブ思考ですね。
神村: 実は気持ちが吹っ切れたのは最近なんです。昨年、褥瘡(じょくそう)の手術を受けたのですが、その手術がうまくいかなかった。お医者さんに「一生、付き合っていきましょう」と言われたことがきっかけです。そこから自分が寝たきりの生活になってもおかしくない、と思うになったんです。あと仕事ができるかわからない。それで逆に元気付いたんです。
二宮: 後ろを振り向いている暇はない、という開き直りに近い心境ですか?
神村: その通りです。今はワクワクが勝ってきて、前に進むしかないと考えられるようになりました。だから誰もがチャレンジできる社会を実現するため、これからも突き進んでいきたいと思います!
(おわり)
<神村浩平(じんむら・こうへい)プロフィール>
株式会社ニコ・ドライブ代表取締役。1984年1月7日、神奈川県川崎市生まれ。16歳のときに交通事故で脊髄を損傷し、車椅子生活となる。その頃に出合った車椅子バスケットボールをはじめた。2004年、NECエレクトロニクス株式会社入社。2年後に車椅子バスケットボール選手としてアメリカ留学。2009年、パークランドカレッジの準学士号取得。帰国後、ゴールドマン・サックス証券株式会社に入社。2013年に本田技研工業株式会社のエンジニアだった荒木正文氏とニコ・ドライブを創業し、その2年後に同社を法人化した。
株式会社ニコ・ドライブ
(構成・杉浦泰介)