二宮清純の視点
二宮清純が探る新たなるスポーツの地平線
2025.02.13
前編 編集者から障害者ゴルフの世界へ
~生涯誰もが楽しめるゴルフを~(前編)
NPO法人日本障害者ゴルフ協会(DGA)の代表理事を務める松田治子氏は、障害者ゴルフの発展のため、①ゴルフをパラリンピックに②誰もが楽しめるゴルフを③DGAを末長く続く組織に――という3つの目標を掲げている。その松田氏に日本障害者ゴルフの現状と課題について訊いた。
二宮清純: 松田さんは障害者ゴルフを取材したのがきっかけで、競技団体に携わるようになったとうかがいました。
松田治子: 1996年夏のことです。私は当時、福祉関係のフリーペーパーの編集をやっていて、障害者のスポーツ団体を回っていたんです。私と、上司の佐藤成定(DGA前代表理事)がゴルフ好きだったので、"ゴルフの団体はないのかな"と思い、調べてたどり着いたのが日本身体障害者ゴルフ連盟(現DGA)だったんです。そこで話を聞くと、当時の活動は、リハビリセンターの中に簡単な練習場を作って、障害のある人にゴルフを教えていただけ。まだ大会が開催できず、できたとしても河川敷ぐらいしか貸してもらえないという悩みを聞きました。そこで私の上司である佐藤がゴルフ場のオーナーと知り合いだったものですから、ゴルフ場を紹介し、大会を開催することが決まった。佐藤が「ちょっとだけウチが引き受けてみるか」と言い出したのが、すべての始まりなんです。
伊藤数子(「挑戦者たち」編集長): そこから、"ゴルフ沼"にハマッていったのでしょうか?
松田: 正直言うと、まだ大会運営までは想定しておらず、上司から話を聞いた時は乗り気ではなかったんです。でも実際、選手たちに会ってみて、印象がガラリと変わりました。
二宮: いい意味で裏切られたと?
松田: その通りです。最初はレベルも大したことないんじゃないかと思っていた。きっとクラブにボールが当たらないんじゃないかと思って見ていたら、車椅子のプレーヤーが、いきなりポーンってボールを飛ばしてびっくりしました。私自身、まだ障害者のことも障害者スポーツのこともよく分かっていなかった。彼ら彼女らのプレーを見ているうちに、段々、私の気持ちがそちらに向いていったんです。終わってから上司とも「いや、なんかすごく感動したから、ずっとやろうか」「いや、それやめてくださいよ」なんて話したことを覚えています。
二宮: それがきっかけで、引き続き運営を任されるようになったわけですね。
松田: はい。その上司が事務局長を務め、やがて代表理事になりました。そのタイミングで私が事務局長を引き継ぎました。最初は乗り気ではなかったものの、障害者ゴルファーたちと月例会をスタートし、一緒にゴルフしてみたら、どんどん私の中にあった障害者に対する誤解のようなものが消えていった。人間同士として全然変わらないんだなって改めて気付かされました。さらに言えば、彼ら彼女らには何かを克服している強さがある人もいて、私にとっても得るものの方が大きかった。
二宮: その出会いが、やがて使命感になっていったと?
松田: そうですね。一種の使命感かもしれませんね。
【賞金大会の創設】
二宮: 2021年に代表理事に就任したきっかけは?
松田: 前任の佐藤が亡くなり、私が引き継ぐことになりました。それまでも事務的なことは私がずっとやってきていた。だから自然な流れだったと思います。いずれはゴルフのパラリンピック競技採用が目標です。
二宮: そのためにはどんな活動を?
松田: 公式試合は年に3回開催しています。今年の秋で30回目を迎える日本障害者オープンゴルフ選手権。もう1つが地域振興障害者オープンと言いまして、全国各地を回る大会です。九州沖縄障害者オープンゴルフ選手権、中国四国障害者オープンゴルフ選手権と開催地域が名称に付き、今は中部障害者オープンゴルフ選手権というのもあります。3つ目が脳卒中で片マヒとなった人たちが参加する日本片マヒ障害者オープンゴルフ選手権。片マヒの人が参加できるスポーツ大会は多くないので、好評をいただいております。そのほか公式戦以外にもグリコパラゴルフ選手権を開催し、昨年4月に続いて、今年も4月に開催予定です。あとは日本障害者マッチプレー選手権。これらの大会以外にも月例会やレッスン会を定期的に実施しています。おかげさまで大会参加者も増えてきています。
二宮: 賞金大会もあるのでしょうか?
松田: 以前はなかったんですけど、障害者ゴルファーにも賞金のある試合をつくった方いいんじゃないかということで、今年7月、北海道で第1回ABO杯ドクターズフレンドシップトーナメントを開催します。慈恵医大の安保(雅博)先生に日本リハビリテーション医学会のセミナーで障害者ゴルフを取り上げていただいた縁で、「賞金試合をやってみませんか?」と提案したら快く引き受けてくださいました。
伊藤: 先日行われた「天皇杯 第50回記念日本車いすバスケットボール選手権大会」は全席有料でした。賞金試合も当たり前になっていきますね。
松田: はい。いろいろなことにチャレンジしていきたいと思っています。もしダメだったら辞めればいい。私はそう思っています。何事もまずはやってみないと始まらないですから。
(後編につづく)
<松田治子(まつだ・はるこ)プロフィール>
NPO法人日本障害者ゴルフ協会代表理事。東京都出身。雑誌、書籍編集者を経て、日本身体障害者ゴルフ連盟(日本障害者ゴルフ協会の前身)を取材したことをきっかけに運営を手伝う。1997年より事務局長に就いた。2021年5月、代表理事に就任した。障害者ゴルフの普及と振興を目標に活動。2000年からは海外の障害者ゴルフ団体との交流を担当し、数多くの海外遠征に障害者ゴルファーと同行。2011年には2016年リオデジャネイロパラリンピックにゴルフを正式種目にするための国際プロジェクトでsecretaryを務めた。2014年には日本で開催された「第1回世界障害者ゴルフ選手権」の運営に携わり、その後も国際活動で得た多くの人脈を活用した。「日本障害者オープンゴルフ選手権」をアジア初の世界障害者ゴルフランキング(WR4GD)対象試合とするために尽力した。令和6年度公益財団法人日本パラスポーツ協会特別功労賞受賞。
日本障害者ゴルフ協会
(構成・杉浦泰介)