障害者スポーツアスリートの挑戦に学ぶこと
“支えられる”側から“与える”側へ
2012.07.31
仕事が競技を支えてくれた!
さらなる挑戦で障害者雇用や競技人口の裾野を広げたい
第14回を迎えるパラリンピックが8月29日~9月9日、12日間にわたってロンドンで開催される。今大会には、世界160か国から4,200人のアスリートが参加。日本からも135人の選手たちが参戦し、勝負に挑む(*1)。自らの限界や記録に挑戦し続ける障害者アスリートたちは、輝かしい記録を残す傍らで、一般企業等に勤めながら仕事と練習を両立させている選手も少なくない。アスリートとして、そしてビジネスマンとして彼らはどのような挑戦をし続けているのか――。ロンドンパラリンピックの視覚障害者柔道代表 米田真由美選手、車いすテニス代表 眞田卓選手を迎え、パラリンピックへの意気込みや日頃の働き方、「挑戦する」ことの喜びを訊く。インタビュアは、障害者の就職や転職支援を行っているテンプスタッフフロンティアの中村淳代表取締役社長。そして「挑戦者たち」の伊藤数子編集長が進行を務め、両選手の価値観や企業に求められるサポートなどを浮き彫りにする。障害者アスリートの力強さは何に基づくのか――。そのヒントを探る。
(*1)(日本障害者スポーツ協会 2012.7.18付)
「一勝」を積み重ね世界の舞台へ
伊藤: 米田さんは柔道、眞田さんは車いすテニスでのロンドンパラリンピック初出場、本当におめでとうございます。それぞれの目標を教えてください。
米田: まずは「一勝」を目指します。勝ち星をコツコツと積み重ねていきながら、その先にあるメダルを狙いたいと思います。
眞田: ロンドンパラリンピックの舞台で入賞を目指したい。今年の6月にケガをしてしまって、それ以降世界大会に出られなかったのでランキングが下がってしまいましたが、そのために感じた焦りをバネにパフォーマンスを上げていきたいです。
中村: 競技を始めた時点で、パラリンピックへの出場は考えていましたか。
米田: 3歳から柔道をはじめ、女子が正式種目となったアテネからずっと「パラリンピックに出たい!」と思い続けていました。
柔道では全盲の選手も弱視の選手も同じトーナメントで戦います。北京パラリンピック以降は、全盲の選手が弱視の選手に勝つとポイントが加算されるようになりました。私は弱視なので、全盲の選手に負けるとそのポイント差は一層開くこととなります。そうした条件のなかで、勝ち星を上げていかなければならない。また、初めて臨んだ07年のIBSA世界柔道大会フランス大会では試合開始5秒で負けてしまったので、ずっと「世界の壁」を感じていました。
眞田: ぼくも初めての国際大会では初日に敗れてしまい、残り5日間はただただ観戦したという苦い記憶があります。「世界で戦う!」と豪語していたのに、世界で負けた。次に負けたらどうしようと落ち込んだけれど、その重圧に慣れていった頃、気づいたら、パラリンピックへの出場切符が手中にありました。
中村: 国際大会などでそのようなスランプを感じたとき、どうやって乗り越えましたか。
米田: 「練習は裏切らない」と信じて頑張りました。スランプに陥るのは、練習したのに勝てないとき。でも、そんな時でさえも練習を続けてきたからこそ、パラリンピックの舞台に立って世界の選手と戦うことができる。今、その事実が目の前にあります。
眞田: 振り返ると、競技を全く知らない会社の先輩や同僚も、いつもぼくの悩みを聞いてくれました。「緊張をどう克服しよう」といった正念場での判断や決断は、仕事とも通じるものがあるのかもしれません。
障害者求人の紹介、就職、障害者の採用を応援する、テンプスタッフフロンティア
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「仕事」はメンタルの支え、「会社」は帰ることのできる場所
中村: お二人は正社員として勤務されていますが、現在の職場に就職するまでの経緯を教えてください。
眞田: 19歳のときに交通事故に遭い、その後、スポーツ量販店に3年間勤務しました。車いすテニスをはじめたのは、リハビリ先で。たまたま車いすバスケの練習に見入っていたら、「君、スポーツやりたいの?」と声をかけてきた方がいました。そして「テニスをやりたい」と答えたら、その2日後に競技用の車いすが病床に運ばれてきました(笑)。実はその方は、埼玉県車いすテニス協会の方だったんです。また現在の就職先である埼玉トヨペットには、知人の紹介で転職しています。そうした数々のご縁を得て、仕事と車いすテニスの両立が実現しています。
けれど入社して最初の1年はテニスどころじゃありませんでした。
「会社に信用されたい」という思いで平日はがむしゃらに仕事をし、テニスは休日に開催される大会のみに参加しました。会社は私の「夢」を応援してくれるのですから、サポートしてもらうための土壌は自分でつくらなきゃいけない。入社時点からそう考え、理解者を増やすことと信用獲得に注力しました。
米田: 最初は、高齢者福祉施設にマッサージ師として勤務しました。入社当初は仕事一本としてきましたが、1年経った頃、柔道を再開し仕事と両立することに。けれど合宿や練習のためにたびたび仕事を休むのは職場に対して申し訳なく、依願退職することになりました。その後、現在の勤め先である三井住友海上あいおい生命と縁あって就職することになりました。
伊藤: 現在は、どのような勤務状況ですか。
眞田: 埼玉トヨペットの与野本社で、土日に接客対応をしています。そして平日は千葉県柏市にある吉田記念テニス研修センターでトレーニングを積んでいます。平日の練習は勤務扱い、海外遠征は出張扱いとし、宿泊費や交通費などテニスに関わる費用は会社に負担してもらっています。
米田: 人事総務部に所属し14時半まで勤務、15時半から道場で練習を積んで直帰しています。普段は、社員約2,200人の健康診断に関する手配からデータ抽出までを行っています。社内には自分以外にも障害をもつ社員がさまざまな部署に勤務しています。どの部署の社員も障害やそれに伴う苦労を深く理解してくださっているので、障害者の長期雇用が実現していると思います。
中村: パラリンピックへの出場の背景には、さまざまな苦労があるのですね。仕事上で、歯を食いしばって頑張ったエピソードなどがあれば教えてください。
眞田: 入社当初は土日に行われている国内の大会に出る程度だったのですが、国内トップ8に名を連ねるようになると、パラリンピックへの出場も視野に入れ、国際大会に出場する必要がでてきました。長期遠征となると平日に会社を休まなければいけないため、思い切って会社に相談してみました。すると、役員から「国際大会に出るための企画提案書を書いて提出するように」と……。「これはチャンス!」と無我夢中で、約10ページに及ぶ提案書を作成しました。どの大会でどれぐらいポイントを獲得できる見込みがあるのか、遠征にかかる費用はどのぐらいの概算になるのか……。思いのたけが詰まった資料を確認した社長は、「ぜひ、やってみなさい」、そう言って背中を押してくれました。こうして10月に提案書を出してからわずか数か月で、ぼくはオーストラリアの舞台にたつことができました。
中村: 仕事と折り合いをつけてパフォーマンスをあげるには、さまざまな工夫が必要そうですね。
眞田: 周囲への気遣いは必要だと思います。現在の環境や待遇の中で仕事が続けられているのも、会社の経営陣をはじめ販売の方や整備士の方のサポートのおかげです。ですから、退勤後に先輩が納車したり車を取りに行くときも、迷わず「ぼくも行きます」と手伝うようにしています。
米田: 遠征となると会社を空けることが多くなります。同じ部署には、子育てのため勤務時間を短縮している女性社員もいるので、誰が不在でも対応できるよう、職場全体で情報共有を密にしています。
伊藤: 会社と良好な関係を保っているのですね。もし「選手」という立場だけになったら……?
眞田: ぼくの場合は車いすテニス以外に、帰れる場所をもつことが必要だと思っています。幸いにも埼玉トヨペットは、社長をはじめ社員が家族のように接してくれていますし、仕事があってのテニスだと思っています。
米田: 現在は勤務時間などを調整いただいていますが、その配慮や環境にあぐらをかくことのないよう、仕事はしっかりやりとげたいと思っています。会社に対し精神誠意応え、そのうえで競技をさせていただくという姿勢を忘れずに努めたいと思っています。
伊藤: お二人とも、会社が好きだという気持ちが伝わってきます。メダルをとったら会社の方に見せたいですか。
眞田: もちろん、お世話になった方々に見せたいと思います。皆、盛り上げてくださっているので、よい報告ができるよう頑張りたいです。
米田: 私も同感です。パラリンピックへの出場が決まり、MS&ADインシュアランスグループとして壮行会を開いていただきました。パラリンピックへの出場が決定した7月3日には、本社の入口に横断幕も掲げていただきました。中にはわざわざ内線番号を調べ、私に直接電話をかけてくださった方もいます。応援してくださる皆さんの気持ちに応えたいと思います。
挑戦の先には「自信」と「出会い」が待っている
中村: 仕事とスポーツを通し、多くの方を支える立場でもあるお二人。これから社会に出る方に向けてメッセージをお願いします。
米田: 目の前にあること、興味のあることに少しずつ挑戦してみてください。必ず夢は実現します。私の場合は、父が柔道の道に導いてくれたおかげで、幅広い人間関係や価値観を得ることができました。そして「まだ先の目標」と思っていたパラリンピックの舞台に、今こうして立つことができるのです。可能性は一回りもふた回りも広がっていく――。そんな期待を込めてこれから実現したいと思っていることは、視覚障害者柔道の裾野を広げていくこと。そして職場の仕事を通じ、社員のパフォーマンス向上を支援していきたいと考えています。
眞田: 物事に挑戦していくと、必ず友だちや仲間が増えます。海外でもボランティアや現地にいる日本人などさまざまな立場の人たちと知り合うことができました。勝ち負けがあれば楽しいことも悔しいこともあるけれど、挑戦の先には、かけがえのない「出会い」が待っています。だからこそ、第一歩を踏み出してください。
中村: パラリンピックの代表選手が、企業人の一面も持ちながら夢を実現しているというところに、同じ一企業人として共感を持つことができました。ロンドンパラリンピックでのお二人のご活躍を応援しています。
<米田真由美(よねだ・まゆみ)プロフィール>
1982年9月5日、静岡県島田市生まれ。先天性白内障・緑内障に伴う視野狭窄障害・視力障害。3歳より柔道を始め、2010年全日本視覚障害者柔道大会で2位、同年広州アジアパラ競技大会で2位を獲得。ロンドンパラリンピックの女子柔道ではキャプテンを務める。三井住友海上あいおい生命保険株式会社勤務。
<眞田卓(さなだ・たかし)プロフィール>
1985年6月8日、栃木県那須塩原市生まれ。19歳のときに、交通事故で右大腿を欠損。リハビリ中に車いすテニスをはじめ、2011年のユーロヴィアカップ(チェコ)、大阪オープン、及び台湾オープンで優勝に輝く。ITF世界ランキング11位(2012年7月23日現在)。埼玉トヨペット株式会社勤務。
<中村淳(なかむら・じゅん)プロフィール>
東洋大学卒業後、テンプスタッフ株式会社に第一期新卒採用で入社。東京・大阪でマネージャーを経験後、企画部門を経て人事部の採用責任者。そこで、障がい者雇用に関わり、テンプグループの障がい者雇用で職域開発・採用業務に従事。その後「テンプスタッフフロンティア株式会社」を設立し代表に就任、障がい者雇用の新しいスタイルをつくり上げた。障がい者専門の人材紹介を主事業とする同社は、テンプグループのスケールメリットのひとつである「多くの企業との接点」を活かしながら、2006年の会社設立からこれまでの約6年間で1000人以上の就・転職を支援。企業理念である「雇用の創造」「人々の成長」「社会貢献」を礎に、人材紹介のみならず、自治体の就労支援事業受託や就労移行支援にまで事業を拡大中。
テンプスタッフフロンティア株式会社
障がい者専門の人材紹介を主事業とする同社は、テンプグループのスケールメリットのひとつである「多くの企業との接点」を活かしながら、2006年の会社設立からこれまでの約6年間で1000人以上の就・転職を支援。
企業理念である「雇用の創造」「人々の成長」「社会貢献」を礎に、人材紹介のみならず、自治体の就労支援事業受託や就労移行支援にまで事業を拡大中。
テンプスタッフフロンティア公式サイト http://www.tempfrontier.co.jp